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時間は・・・いつも足りない

私の日々の活動・願いは、その子の目をもっとよく見えるようにすることであり、
もっと自分で考えられるようにすることであり、
やがてはその子が自分でしっかりと行動できるようになることである。
そのために数学や語学を「道具」として用い、もちろん「技術」も鍛えるが、
最も重視しているのは「けじめの付け方」であり、「方向性」であり、「向き合い方」である。
それらを鍛えるために「遅刻・欠席」は許さないし、「挨拶」にもうるさい。
席に座り教師を待つ。教師の話を聞き、メモを取る。練習問題に取り組み、考えてみる・・・
そう言う作業や「流れ」に意味があるのであって、そこを飛ばして「技術だけ」なら、私はやりたくない。
「効率よく技術を」と望むのは人の常だし、それ自体は良いことだ。
しかしあまりにもそれのみを追い求めると、人は逆に「頭を使おうとしなく」なる。
進学塾の小・中学生の大半はすでにその状態にある。
あまりに速く、あまりに大量に技術や知識を詰め込まれると、
「覚える」「言われた通りにする」こと“だけ”が勉強だと思い込み、
自分で考えるとはどういうことかもわからないようなバカになっている。
それを嫌がりはみ出してしまうと、「3ケタの引き算が出来ない大学生」になってしまう。
うちの生徒には、そのどちらにもなってほしくない。

嫌なことはしなくていいと思い込んでいる生徒は多いし、「自分らしくあればいい」と言う子も多い。
「そう言う子は“自分はすでに完成している”と思っているのではないか?」
と内田さんは危惧し、警告する。
「自分は完成しているのだから、それが認められないのは人や世の中が悪い。
 自分がうまく仕事が出来ないのは、会社が私の能力をうまく引き出さないからだ。
 自分は完成しているのだから、もう学ぶことなどない」
世も中が便利になり過ぎ、「見た目」の技術効率が進み過ぎると、どうしてもそう言う人間が増えてしまう。
「効率ではどうにもならない事」を中学・高校ではたくさん叩き込んでおかなくてはならない。

中2のアキヒロとカイラの目が、最近つり上がり始めた。「死に物狂い」で考えている。
そういう「学び」があることなど知りもしなかったし、やろうとも思わなかったことだ。
ナナは図形が得意でよく解いていた。「わかったつもり」になり、宿題などしなくてもと思ってしまった。
円のまとめ・・・知識は持っているつもりだったのに、図形をさわることが出来ない。
隣のアヤカがぐいぐい進んでいく。何度かこっそり「解き方」を聞くのだが、
アヤカは「考え方」しか言わず、やがて相手にされなくなった。
カイラもソウタも自分より先に進んでしまった・・・・これほど落ち込んだナナを初めて見た。
効率ではなく「手を動かさなければ」どうにもならない現実に叩きのめされている。
今までだと「ふてくされて」帰って行くことが多かったが、
昨日は一人教室に残り、最後まで丁寧に黒板の掃除をしている。それも、初めてだ。
それが私の教育であり、それこそがこの教室で学ぶべきものだ。
そうやってうちの生徒は賢くなって行く。
けっして私から「上手に知識を教わって」賢くなっているわけではない。上手に教えてもいないし。
ナナに「それ」がわかるようにさせるのにずいぶん時間がかかっているし、
これから何度も「そう言うこと」を繰り返さねばならない。
あっという間に3年になるし、あっという間に中学を卒業してしまう。
時間は・・いつも足りない。
「効率よく出来たらなあ・・・」と、私だっていつも思ってはいるけれども、
1度も効率よく出来たことなどない。

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