FC2ブログ

残念な引退 その2

宮崎が引退を決めた理由の一つに「創造は10年」ということがある。
「人が人生で創造性を発揮できるのは、せいぜい10年。俺の10年は、とっくに終わっている」
30年ほど前に「スタジオ・ジブリ」を東京・三鷹に立ち上げて、3~4人で仕事を始めた。
当時の月収は一人7万円ほどだったと聞いた。40歳としてはきつかったろう。
けれど確かに「創造する楽しさとエネルギー」には満ち溢れていたと思う。
創造とは前例がないから出来る。前例がないから模倣が出来ない。自分で創るしかない。
確かにその後10年ほどでジブリは名作を連発するようになる。
30年前の私は公教育の教師になろうとしていた。
生活費稼ぎに塾でアルバイトをするうちに、その実態のあまりのひどさに気付いた。
「独自のテキスト」というのは、他のテキストをコピーし、表紙を変えただけ。
テキストの「すべて」を棒読みし、「説明した」のだから、成績が伸びないのは生徒の努力不足。
「いい学校に入れませんよ」と脅し、絞り取れるだけ金を絞り取る。
授業は面白おかしくし、生徒をつなぎとめる。内容など、どうでもいい・・・
「なんだ・・・これは?」
このままではほとんどの子がバカになってしまう。それはのちの30年で実証されたけれど。
何とかしようと自分で始めたけれど、参考にすべき「本物の教育」など身の回りにはなかった。
いや、日本中を探せばあったのかもしれないが、探す時間もなかったし、
時折聞く「良い教育」も、私の想い描くものとは違っていた。
数年間、週に1~2度はあちらこちらの本屋へ行き、自分の目で問題集を探した。
インターネットなどない時代だし、宣伝広告などはほとんどが信用できなかった。
「これは使える」というものだけを購入し、足りないものは自分でテキストを作った。
「教室にあるテキストって、やっぱり、評判を聞いて買ったん?」
大学受験の時に、康太が私に聞いた。
「いいや、自分の足で行き、自分の目で確認して買った」
「それは・・すごい・・・どの問題集も参考書も“名作”と言われるものばっかりやで」
私の「創造の10年」も、どこかで終わっているのかもしれない。
今でも本屋へは時折行くが、良い問題集など一つも発見できない。
『俺の気力・体力は、落ちたのかな?』
宮崎と私の仕事はずいぶん違うのだが、そう言う焦り・恐怖は同じだと思う。

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

河原

Author:河原
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR