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「ギリギリ」がいいのかも

この一ヶ月、どのように授業をしていたのだろう?よく覚えていない。
精神的には限界をとうに越えていたが、フラフラでも身体は辛うじて支えられた。
予習は十分だったとは言えない。説明や解説も「寝言」のようだったろう。
「学びとは、短期間だけ暗記して、紙に吐き出す・・・そういうものじゃない」
そればかりを繰り返していたような気がする。
しかし・・・中学生も高校生も、息も絶え絶えな私の様子に、何かを感じたのだろうか?
ギリギリの状態の中でやる授業に、そのこと自体に、何かを感じ取ったようだ。
すべての学年で学びの方向性が確実によくなっている。
暗記ではなく、理解へ向かおうとする姿勢がはっきりと出てきている。
数学の公式や演算など、さほど難しいことではない。
難しいのは問題として取り上げるテーマ、出来事の理解だ。
中学の方程式では「シャツを2割引きで買うと」と言うことがよく取り上げられる。
お母さん達は瞬時に答えられるが、中学生にはよくわからない。
そんなことを意識して買い物などしたことがないから、経験、知識、訓練量が足りない。
そんな「出来事」へ向かうこと自体が難しいのだ。
高2のタイスケは、教室へやってきて半年だ。最初はかわいそうなくらいに数学が触れなかった。
暗闇の中を歩くようなものだったが、ライトを持たせても、どこに光を当てるのかがわからない。
半年が過ぎて・・・どこに光を当てるのかがわかり始めて来た。
数学の中の「出来事」をどう扱えばいいのか、わかって来たのだ。
正確に「理解の方向」へ歩き始めている。今、高校では2番だそうだが、すぐに1番になるだろう。
アヤカの顔つき、取り組み方もはっきりと変わった。
「そこそこの暗記」から「出来る限り、少しずつでも理解しよう」に変わったのだ。
数学を扱う様子に「意志」が感じられる。全学年の生徒に、そういう動きが感じられる。
こうなるともう、放っておいても数学の理解は勝手に進むようになる。
「出来事」への興味・理解は、教科を越えて行く。
数学の学び方を語学や自然科学へ広げてゆき、社会や人へも広がって行く。
教科を利用して「大人に育てる」とは、そういう作業だ。
「ギリギリの授業」も、時にはいいのかもしれない。

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