FC2ブログ

障害と向き合う その2

障害と言っても、要は程度の問題だ。
意志の疎通もままならないほどの重症なら、数学を教材には適さないと思っている。
長野の鈴木さんが行われている「共に農作業をする」ほうが、よほどよい教育だろう。
ただし、私がそれを障害だと認めるのは、そういう重度なものだけだ。
あとは健常者と障害児の違いなど、私にはわからない。
逆に障害的なものを何一つ持たない人間を、私は一人も見たことがない。だから
「え?自閉症と診断された?・・・ちがうと思う」とか、
「この子をアスペルがーという?べつに・・・普通だけど?」そういうことがよくある。
ほとんどの場合精神的未熟さから来ているものであり、子供は未熟だから子供だ。
そういう障害よりは、時間を守らない・授業を聞けない・授業中のおしゃべりなどの方が
よっぽど重度な障害だ。そういう子らには数学や語学は優れた教材になりうる。
中には「数学だけはさわれる」と、それだけを支えに中学・高校時代を過ごし、
いつの間にかずいぶんと大人に成長する子もいる。
もちろん、そう簡単なことではない。
その子のどういう部分に、どのように数学を与えてゆくか?
厳しく鍛えている。激しく指導している。
常に観察し、考察し、工夫し、実践を繰り返さねばならない。しかも、10のうち9は失敗する。
しかし子供って、いや、人は誰でも失敗の中でも学ぶことは出来る。
私自身は自分の授業にうんざりすること多々でも、数学を好きになる子は多い。
そうやって数学や国語などの作業を繰り返し、数年単位のスパンで見れば、
「そう言えば、変なところはなくなって・・・ずいぶん大人になったなあ・・・」
ふと、そういうことに気づく。
私がこの教室で30年ほど続け、今でもやり続けている教育とは、そういうものだ。
受験に際しては「おらあ~、勝ってこい!」と、負けさせるつもりもないが、それが目標ではない。
だから「○○大学に行きたい」と言われても、「どうぞ、そういう塾へ行ってください」と言う。
子供を「健康で賢い大人」に育てたい。
ただそれは、単に「公式や解き方を教える」よりも、莫大な体力と気力がいる。
しょっちゅう自分の授業に失望し、絶望に至るのもきつい。
じっとその子を見続ける体力と気力も、いつまで続くことか?
小学生のクラスは来年、卓球を教えているカリンが上がって来るし、ユウカの妹もいるそうだから、
来年までは続け、そこで終わりにしよう。
その子たちを育て上げるまでは、何とか、体力の維持も行わなくてはならないねえ・・・

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

河原

Author:河原
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR