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入れない塾

今日は公立高校の入学式。ピカピカの制服で、胸躍らせているのだろう。
新しい世界が開けるときは、いつだってワクワクするものだ。
生徒だけでなく、母親達も「この3年間」の過ごさせ方の情報を集め始める。
「高校からも塾へ行かせる?行かせるもんなん?」「うちはもう行かせてる」「どこ?」
「シュタイナー教室」「げ!“入れない”で有名な、あの塾!」
へえ~、そうなんだ。今はそんなんで有名になっているのか・・・。知らぬは私ばかり。
入れないって・・・たくさん断ってしまったのは今の中1と高1の学年だけなんだけどね。
他の学年では中学・高校入学時点では一人も断っていないはずだ。
「入れない学年も、時にはある」と言ってほしいけれど、世間の噂なんてそういうものだ。
うちは「塾」だけど、世間がイメージする「塾」とはずいぶん違うのだろう。
「さて、3年になったことだし、塾へ行って受験対策を・・・」
昔も今も、それが塾のイメージだということは、私も認める。けれど「中身」はずいぶん変わった。
「必要最小限の努力」「効率よく合格する」ことだけが、ものすごく膨れ上がってしまった。
世間の圧倒的な「ニーズ」がそうなったので、塾はますますそれに力を入れてきたし、
ついには公教育も「進学のみ」になってしまい、事実上教育は破綻している。
本来の教育の目的は「その子が生き抜く術を学ぶ」ことにあると思う。
数学の「構造」を学ぶことは、語学で多くの文献を読むことは、そのための手助けになる。
しかしそういう学びには「マニュアルやノウ・ハウ」はなく、学びに時間がかかり、
しかも「いつ、どこで役に立つのか」と言うことはわからない。
「費用対効果」では測れないものが教育と言うものだ。けれど人々はそれを良しとしなくなった。
「目に見える、わかりやすい効果を」と言われれば、それは「進学実績」になるのだろう。
しかしそれが行き過ぎて、「効果的に3ヶ月で」となって、子供は「学び」を捨ててしまった。
本当に理解するかどうかは問題にならず「受験のテクニック」が教育だと思い込んでいる。
「学力低下」は起こるべくして起こったのだ。
これはもう「世間の意識の問題」で、いじめや体罰をなくしたからどうなるものではない。
公教育の教師がどんなに頑張ったって、どうにもならない。
そういう意味で公教育は破綻しており、きっぱりと方向性を変えなくてはならないのかもしれない。
けれど、どの方向へ?それはもう、私にもわからない。
わからないから私は、とにかく「学びの本来」を見つめ続けようと思う。
「世間のニーズに反対する」ことは、公教育には出来ない。「在野の塾」がやれば、潰れる。
生徒が来なくなれば潰れるのだが、なぜだかうちは28年間続けることが出来ている。
どうせ教師生命も長くはない。最後までこの方向性を残しておこう。
満員だからごめんなさい。いえ、まだ取れますよ、どうぞどうぞ。
受験対策?どうか、よそでやってください。3年生からは取りたくありません。
たったそれだけのことだから「入れない塾」と噂されても、私には気にならない。

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