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塾の意味

「北の国から」の作者・倉本聡さんが、新聞のインタビューに応えている。
ーー1984年から「富良野塾」で若者達を育てました。
「僕はテレビに育てられたから、何かテレビに恩返しが出来ないかと思って。でも若者は金はない。
 ならば農家で農繁期は働かせて、自主的に生活する私塾なら出来ると思った。
 1期生は意欲に燃えてましたよ」
ーー若者は変容してきました?
「創造力がない。無気力、無反応。ものを学ぶということは自分が考えて、
 その中で出た疑問点がないと、他動的に教えられても学べないんですよ。
 でも自分の中にクエスチョンがない。教えられるのを待つだけ。
 僕に教わればテレビに出られると思っている。
 富士山に登るのに、5合目から登って、登った気になるのはダメ。
 1合目から景色もさほど良くないところを登ってこそ、頂上まで登ったと言える。
 でも、若者の多くは頂上しか見ていない」

教育の現場にいれば、倉本さんの言われることが痛いほどわかる。
要は「テレビに出られる」「入試に合格する」ためのマニュアルがほしいだけなんだ。
「ならば、新しいものを創造せよ」「しっかり勉強することだ」と言っても、ピンとこない。
それは「1合目からの登山」をすることであり、「生活費は農家か市役所のゴミ集めでもやろう」
と行動することであり、ただ一人フリースペースに座り、テキストを読みふけることで生まれる。
しかし若者は「頂上」「合格」しか見ておらず、「いかに効率よく」そこへ行くための
マニュアルしか求めていない。あるはずもないマニュアルが「あるはずだ」と、思い込んでいる。

「初期には保護観察中の奴や暴走族の頭や、変な奴が多かったですよ。
 そういうほうが、学ばなきゃ社会で生きていけないとわかってて、根性がある。
 夜逃げ駆け落ちは当然。ひどい年は3分の2が夜逃げ。卒業したのは300人程度。
 この世界からは離れちゃうのは4分の3かな。食えないですから。
 人間が自ら学ぶということが欠落した絶望感に駆られて、閉塾しました」

最後は悲しい話だが、私でも20代・30代の若者がそんな「ガキ」なら閉塾するだろう。
しかし相手が中学生や高校生なら、まだ「学ばせ方」を諦めてやると、かわいそうだ。
「ただ話を聞いて、真面目に公式を覚えることが・・学びではない。
 その中に広がる世界がどういうものか探りに行く。
 そのために自分はどう動き、どう生活し、どのように生きるのかを見つめる。
 そういうことが“学ぶ”ということだ」
そういうことを言葉ではなく、数学と格闘させることで身に着けさせようと、今日の授業にも臨む。

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