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目指すものと守備範囲の違い

中2のクラスに「今から入れてほしい」と言う電話があった。
「ごめんなさいね、今からはとらないんです。次は1年後、高校へ上がるときですね」
「行っていた塾が閉鎖になって、途方に暮れているんです」
それは私の知ったことではないけど・・・なぜ取らないのか、説明しようとすると、
「そちらのことは知っています。けれどうちの子は○○塾へ行っていて、
 そこが閉鎖になるから、そちらにお願いしたい。ぜひその力を見てやってください」
・・・その塾のチラシは見たことがある。「数学専門、数学がすごい」とかいう塾だな。
要するに、数学のすごい塾へ行かせていたので、数学には自信があると・・・
だからそれより劣るお前の塾なら十分やれるはずだから、取れと・・・・
「知っている」と言うけれど、この人、うちや私の何を知っているのだろう?
私のことを知っているのなら「力自慢」の子など、余計に取らないことくらいわかりそうだが。
関東にある「遠山真学塾」は、塾長オガサさんが本も出されたことでも知られているが、
再び新聞でも取り上げられていた。
「ダウン症」の女の子は8年も通い続けている。
帰国子女が「3ヶ月だけ」と言っても、快く見られているそうだ。
もう30年も「真の学び」を目指しての活動に頭が下がるが、私には出来ない。
私は「ごく普通の子」を「ごく普通」に育てようとしている。
程度が強いかどうかだけで、「障害」など、あらゆる子供の中にある。
それが私の手に負えるものなら私も毎日闘っているが、手に負えなければ他に任せるしかない。
3ヶ月だけみて、その子がなんらかの「きっかけ」をつかむこともあるだろう。
けれどそれにも私は期待しない。
私の特徴は「分析力と修正力」ではないかと、最近ようやく思えるようになった。
数学でも卓球でも「その子の状況」を分析することが出来る。
そしてその子を少しでも賢く、逞しく育てるために、働きかけることもできる。
私が「へぼ教師」ゆえに失敗するが、何度でも修正する忍耐力も持っている。
もし、私にほんの少しだけでも人より優れるものがあるとすれば、それはそういうところだ。
ただ「教える」のではなく「一定期間、共に歩く」というのは、一緒に泥もかぶり、
共に泣き、けんかし、共に喜びあうということだ。
子供が育つのは、そういうものの中においてだと、私は思う。それは・・・3ヶ月では無理だ。
オガサさんも「障害児教育」ばかりを強く取り上げられてしまったが、それは世間が喜ぶからだ。
「原発ゼロ」や「障害児と向き合う」と言えば、とにかく受けはいいのだろう。
そういう「受け」は、よそ様に任せておこう。
私は「この子は障害児ではない」と思うから向き合うのであって(だからうちには障害児はいない)
「はっきりと障害」と言うのなら、それはそういう人たちにお任せする。
「育てること」が私の目指すことであり、「普通の子」が私の守備範囲である。

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