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基礎研究の苦悩 その3

基礎を育てることの最たるものは教育だ。基礎がゆえに、すぐに「得」をするものではない。
人生のどこかでふと学びのきっかけを与えたり、目には見えないところで支えてくれるものだ。
そんな「訳のわからないもの」にはお金は集まらないはずなのに、たいていの中学生は塾へ行っている。
その費用も半端ではない。塾によっては年間120万円をゆうに超えると聞く。
それは塾がやっていることが教育ではないからだ。
「点を取る」「合格させる」「資格を取らせる」など、“はっきりとわかるもの”だから、
親たちはいくらでも金を出す。しかしそれらは教育ではない。
教育とは「その子を強くする」ものでなければならない。
「問題を解いてやるだけ」「プリントの問題をやらせるだけ」というのは、その子を弱くする。
アフリカのあちこちでは日本の青年隊などが地道に「農業指導」をしている。
1年間汗水たらしても収穫はわずかずつしか増えない。
それよりも人々は「育てる楽しさ」を知る。その方が大きい。
しかし飢饉がおこると日本から大量の「マネー」が贈られる。
現地の人々は一夜にして何年分もの金を手にする。・・・誰も農作業などしなくなる。
ならばと日本は何台ものトラクターを贈った。一つの村に何台も。
何台もあると、人々は誰もトラクターを洗ったりしない。すぐに全部が動かなくなった。
ある村では日本の青年が「1台だけにしてくれ」と言い、手入れの仕方、洗い方を教えた。
1台しかないのだから人々はこまめに洗い、大切にし、いつまでも動いたという。
塾や進学校がやっているのは「大量のマネー」であり「何台ものトラクター」だ。
だから「そうなる」と言うことでもないが、不幸にして、多くの生徒が学びを忘れてしまった。
それが今の日本の「現状」ではないのか。「愛情のかけ方」を間違っているとしか私には思えない。
私が生徒に怒鳴るのは、生徒が大量のマネーを手にし、畑に出るのをやめる時だ。
「勉強が出来ない・わからない」と言うのは、そのほとんどがそういう状態にいるからだ。
「精神障害・脳障害」で勉強できない子の存在は知っている。
しかしうちの教室ではそういう子を、私はほとんど見ていない。
「医者にそう言われた」と言う子なら何人も見てきたし、今でもいる。
けれど私にはそれが「病気のせい」だとは、どうしても思えない。
それが本当に「病気」なら、その治療は私の仕事ではなく、医者の仕事だ。
「これは病気だ」と認めれば、私はためらわずその子を医者に差し出すだろう。
けれどそういう子は、まだ一人もいない。
怒鳴ったら逃げて行って、来なくなった・・・という子は何人もいる。
それは私にとって、「生き別れ」や「その子の死」を意味する。いなくなるのだから。
誰しも「自分の子が可愛い」というが、私は不思議と康太や真子と区別がつかない。
どの子にも同じだけ「どれくらいのマネーを持たせようか」「何台のトラクターを投入しようか」
毎日毎日そればかりを考えている。お尻を叩いて畑に連れ出そうとしている。
稀にうまくいくだけで、ほとんどが失敗ばかりだ。苦悩しない日などない。
しかしそれが教育であり、基礎研究だと、私は思っている。

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