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遥かなる全日本

木幡中のサッカー部が行って来たけど、私だって行ったことがあるんだ、全日本。
全日本卓球選手権ホープス(小6以下)の団体戦・・・もう、30年ほど前だけど・・・
私が大学を出て就職で赴任したのは福井県小浜市。
ちょうどそのときに卓球好きが集まって「若狭奥城クラブ」を作った。
私も練習には参加しており、小学生と中学生を指導し始めた。
「その子の頭脳と肉体の能力を、どのように最大限引き出すのか」
卓球と数学の違いはあっても、その考え方は、今も昔も同じだ。
1年も経つ頃から、小学生と中学生は福井県のタイトルを総なめにし始めた。
福井県のタイトルを取ることなど、何でもなかった。
1度試合を見に行く。なるほど、トップはこの程度か。
半年後の本選では、それを超えるだけではだめだ。相手もさらに上達する。
その「上達分」を見越して、それを超えられるようにしておけばいい。
とはいえ、今の町のクラブのように毎日練習する時代ではない。週に2回だけだ。
当時の私は若く、日曜は会社が休みで、休みに遊ぶ彼女もおらず、
来られる小・中学生を集めては、日曜も練習していた。
最初に団体戦を制したのがホープス女子で、私が監督として東京まで連れていくことになった。
私は・・・福井県を制することは考えていたが、全日本の戦い方までは考えていなかった。
会場へ行ってみて、最初に感じたのは・・・「レベルが違いすぎる」だった。
予選は3チームの総当たりだが、木端微塵に吹き飛ばされた。
何しろ相手チームのどちらにも、後の「全日本ランカー」がいたのだ。
うちのエースは小学6年のトモミだった。
その後、中学・高校と1年生から福井県のタイトルを独占する伝説の選手になった。
その時の全日本ではボロ負けだったが、トモミの父ちゃん、母ちゃんは大喜びしてくれた。
その当時から私を気に行ってくれ、私が結婚してからも家族ぐるみで付き合いは続いた。
トモミは「河原先生の“一番弟子”は、私」と、今でも言ってくれる。
初めての全日本から30年。
10年前にトモミの父が他界した。葬儀に参加し、私もトモミも泣いた。
そして去年の「年賀辞退」で、母の死を知らされた。
トモミはこのブログを見ており、「忙しそう」と、いらぬ想いで私に知らせなかった。
「せめて、手を合わせに行く」
年末に電話で話したのに、今まで行けなかった。今度の日曜日に、女房と康太を連れて行ってくる。
康太がトモミの家に泊めてもらったのは、まだ小学生になっていなかったが、覚えている。
トモミに「アマガエル」を捕まえてもらって、「持って帰る」と言ったのは覚えているだろうか?
真子もいたのだが、日曜は模試があって行けない。
「今の康太を見たらびっくりするぜ。182センチの大男だぞ」
「先生、私の娘も170センチですよ!」
トモミの一人娘は真子の一つ下。中学3年生になっている。
そうか・・トモミ自身が、私が出会った頃の母親と同じ年になっているんだ。
時は確実に流れている。会えるうちに会っておかなければならない。
マナから「夏休みなんで、遊びに行きます」と電話がかかった。また話をしよう。
藤井さんや鈴木さんに会いに長野へも行きたいが、不義理ばかりしている。
来週は1週間の夏休み。ふらりと出掛けてみようか・・・・

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