FC2ブログ

「わからなさ」を知る

小6のクラスは今、学校では2学期にやる「速さ」に取り組んでいる。
面白いんですよ、生徒達の反応を見ると。ややこしいんだね、「速さ」って。
通常の長さにも㎝・m・㎞の三つがあり、時間も秒・分・時間の三つを扱う。
これらを正確に扱うのって、大人が思う以上に子供には大変だし、
極めて大ざっぱに言えば、小学生には「わからない」し、扱えもしない。
「え?うちの子、塾で教わって、ちゃんと計算してますよ」
だからそれは、たとえば「距離=速さ×時間」という公式を丸暗記して数字を当てはめているだけ。
きちんと「単位」を付けて書かせて、よ~く観察してごらんなさい。すぐにわかるから。
100mを10秒で走ると、その速さは10“m毎秒”で、それが速さの単位だ。
では、その速さのまま1分走るときの“距離”は?
もちろん600“m”で、それが距離の単位だが、たいていの生徒が600“m毎秒”と答えちゃう。
さらに13200mが何㎞なのか混乱してわからなくなったり、
192秒が「何分何秒か」なんて、ほとんどの子がわからなくなったりする。
「シュタイナー教室って、よっぽどアホしか行っとらへんのやろ!そんなんもわからへんのんけ!」
そうですよ。27年前から、そういう子ばかりがやってきますよ。
もちろん丁寧に説明もし、図も書かせ、何度も練習もさせるけれど、“抽象化されたもの”は、
小学生には、本当にはわからない・・ということを、私は知っているだけですよ。
大人や教師や世間が見逃している「本当の難しさ」をね。
そうはいっても昔の私は今の世間一般の塾と同じく「絶対にわからせられるはずだ」と取り組んでいた。
今でもまだ、昔よりも丁寧に、より厳しく取り組ませているけれど、
「その“わからなさ”は、“今はまだ”残ってもよい」という部分がはっきりと私の中にある。
心配しなくても数年もあれば、生徒は自分で「腑に落として」行く。
その「落とし方」こそが教育だと思っている。
その時には教師はただの「触媒」であり、生徒自らが変化しなくてはならない。
以前にも書いたが、高2のクニカズは、高校受験の時に、
「自分はどれほどわかっていないか」に気づき、家で泣くこともあった。
自分の「バカさ」も情けなかったのだろうが、それをどう「処理」していいのかがわからず、
勉強しようにもその習慣もまだ身についておらず、それに驚き、泣けたのだと思う。
数学を中心に、高校から学びそのものを問い直していった。
簡単な作業ではない。問い直すほどに「自分の愚かさ」だけが、より鮮明に見えてくる。
1年半後・・・それまでほとんど「白紙」だった国語の宿題が、真黒になっている。
余白に20ほどの「単語」と、その意味が書かれている。問いにはすべて正解していた。
「わからなさ」を直視し、その「元」を処理し始めた瞬間であった。
そういう処理が出来るようになることが「大人になる」ということであり、
教育の目的とは「子供を大人にすること」であり、大人になってもそれは日々繰り返される。
そういう作業をさせるのは、どこかに「わからなさ」を残さなくてはならない。
世は、教育もニュース解説も「わかりやすさ」ばかり。
「簡単にわからせる、納得させる」は結構なことだけど、そうは出来ないことの方が多い。
小学生に速さを教えることも、その一つだ。この20年ほど、日本はそのことを忘れている。
人は「わかること」には学ばない。「わからないこと」に学ぶものだ。
「簡単に、優しくわかる」とやっているうちに、日本人はこんなにもバカになってしまったではないか。
もう歯止めをかけなければならぬ。
今の私は昔よりも少しだけ多く、生徒に「わからないこと」をやらせている。

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

河原

Author:河原
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR