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「先生はえらい」 は えらい!

内田樹さんが「先生はえらい」という本の韓国語翻訳を出したらしい。
私はこの本をまだ読んでいないが、内田さんは、
『この本は「学校」、「教師」、「学び」という、ごく平凡な、日常的に私たちが
 意味がわかっている“つもり”の言葉を取り上げて、その「本当の意味」について書きました』
という。しかも、なるべく「中学生にも」わかるように。
これってすごい力技で、至難の作業ですよ。
学校・教師・学びって、残念ながら、あれほど賢い橋元市長や、たくさんの大人にもわかってないし、
ましてや中・高校生にわからせるのはとても難しい。
「数学がわかった!」などというのは錯覚だし(それでいいのだけど)、
「どこかに“本当の自分”がいるはず」と思い込んでいる中・高校生に、
「それを問い続けることが人生。見つからないもの。見つけてはいけないもの」を説明するのは難しい。

『子供たちが目の前で鮮やかな変身を遂げる場面を、私は教師として何度も見てきました。
 これは素晴らしい経験でした。
 私は「子供は必ず成長する。すべての子供の中には豊かな可能性が潜在していて、
 じっと開化の機会を待っている」という、ずいぶん楽観的な教育観の持ち主です。
 「開化の瞬間」から私が導き出したのは、人が学びを目指して、自分を閉じ込めている
 檻を押し破るのは、「先生はえらい」と素直に、屈託なく、笑顔で口にできた時だということでした』

けれど、
「お前は“先生はえらい”というけれど、あの先生のどこがえらいんだ?つまらん男じゃないかあいつ」
という人はあまりにもたくさんいる。
私だって「お前はえらい先生か?」と問われたら、裸足で逃げ出しますよ。
しかし内田さんはそれをうまくとらえている。
『偉い先生というのは「この世界で、私にとって“だけ”えらい先生なのです。
 それが最も激しい学びへの機動力をもたらします
 「この先生のえらさを理解できるのは私だけだ」という思い込み・錯覚だけが、
 人をして、爆発的な学びへと誘うからです。
 「先生がえらい」ということを何よりも雄弁に立証できるのは、
 「その先生に就いて学んだ当の私が、このようにちゃんとした大人になれたではないか」
 という事実だけなのです』
そう、だから先生が自ら「自分はえらい先生だ」と証明することは出来ないんだ。
それならば、こんなに小さな私にも、私に就いて学ぼうとする子もいてくれるから、少しはほっとする。

『どうして今の日本の若い人たちが「先生はえらい」という言葉を惜しむのでしょう。
 たぶん、誰かに向かって「先生、どうぞ教えてください」と懇願するのは、
 「自分の弱さを暴露するみたいで格好悪い」とか「借りを作るみたいでいやだ」と思っているのでしょう。
 そんなことを言ってたら、ついに死ぬまで子供のままなのに、もったいないですね。
 でも、現実に日本の子供たちは「先生はえらい」という言葉を惜しみました。
 そして幾分かはそのせいで、学ぶ意欲を失い、学習時間を減らし、学力をどんどん低下させました。
 誰にも頭を下げず、誰にも「教えてください」と膝を屈さなかったことによって、
 子供達はささやかなプライドや主体性は守り抜いたのかもしれません。
 でも、代償として失ったものは、あまりにも大きいように思います』

これ・・・現場で働いているすべての教師が実感し、「その通りだ!」という意見だと思う。
大人とは「子供には“その価値がわからない”ものの“価値がわかる人”」のことだ。
お金がほしい・いい家に住みたい・みんなにちやほやされたい・レベルの高い配偶者を手に入れたい・・・
・・・・そういう人のことじゃあない。
「自分はえらい教師になれるか?」と考えれば、私を筆頭に、ほとんどの教師はくじけてしまう。
「そう言えば・・・ここに・・私みたいなものを頼る子が一人いる。この子を、大人にしてみよう」
私は、そう思って教師を続けている。
 

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