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「濃い味」は続かない

歓迎会続きの5月が終わる頃、野菜たっぷりだが何でもない家の飯を食べて、康太がしみじみ言った。
「こういう、何でもないご飯が・・一番おいしいなあ」
歓迎会では先輩に飯をおごってもらうが、外食ばかり。
外食は、どうしたって、少し「濃いめの味付け」になっている。それが重くなっていたのだ。
今の康太と同じ18歳の私は、そうじゃなかったですよ。濃い味ばかりを求め、食い続けていた。
野菜も果物も魚も食べない。濃い味の肉ばかりを食っていたものだ。それが・・・
昨日の晩御飯は久しぶりに肉。小さくて薄い肉を5枚、炒めて「焼き肉のたれ」をかけてある。
食べてみると、たれが・・・辛くて肉の味が損なわれている。
添えてあるキャベツ・レタス・玉ねぎばかりをバリバリ食べる。野菜がうまい。
特に糖尿病は意識していない。自然と、いつの間にか口がそうなってしまった。

教室を始めた26年前。私は数学に、たっぷりとした味付けを繰り返していたように思う。
数学的な図や絵(シェーマという)を盛んに考え、画用紙を切っては道具も作っていた。
「何としても数学を“おいしく”食べさせるんだ」
そういう想いに、強烈に「とり付かれて」いたのだろう。
それ自体は悪いことではない。
「デザイナーの卵」と同じで、感性が若いうちにたくさんのデザインを作成しておく。
1000も作れば、中には“いいもの”もあるが、ほとんどはごたごたと飾り付けし過ぎた失敗作だ。
しかし失敗が多ければ多いほど、人は「その本質」に迫っていくものだ。
いつの頃からだろう?私もいつしか「数学の素の味」を求めるようになっていった。
今でもシェーマは、人より多く使う方だろう。
しかし例えば、初めのころは英語も私が見ていたが、英語の文章を書かせるときに、
品詞ごとに色を決め、色鉛筆で文章を書かせることもあった。
今は、そういうことはしなくなっている。
年に一回くらいならそれも面白いだろうが、毎回そうやって飾りつければ、
数学や語学の「本質」からは、どんどん離れていってしまう。
濃い味付けをするということは、数学の味を知らないか、わからないからだろう。
数学も語学も、素のままでとてもうまい。時々醤油を「ちょっとたらす」くらいで十分だ。
今の私はそうやって、生徒に数学を食べさせている。

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