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浜辺に遊ぶ少年 少女

万有引力を発見し、微分・積分を創り出し、歴史学にも多くの業績を残したニュートン。
「おそらく人類史上、最高の頭脳の持ち主だった」と言う人は多い。
しかしニュートンは自分のことを、晩年にこう語っている。私はこの言葉が好きだ。
「世間の人に私がどう思われているのか、どう見えているのか、私は知らない。
 私自身は自分のことを“浜辺で遊ぶ少年”のようだと思っている。
 私は浜辺に遊び、時々きれいな小石や、珍しい貝殻を見つけては、観察し、楽しんでいる。
 私のつま先は、確かに海水に浸った。いや・・あるいは、くるぶしまで濡れているかもしれない。
 しかしほとんどのものは、すべて“未発見のまま”、大海の中に隠されている・・・」
ニュートンは“自分の知らないことがそこにある”ことを知っていた。
だからそれを知ろうと、生涯にわたって突き動かされたのだ。

高1が宿題の国語を持ってきた。
1問目が「ロシアの老帽子職人」の話で、2問目が「話し言葉と出版した文章の違い」について。
3問目も「文章を残すということは」で、それで全部だ。
2問目も3問目も内容は易しいのだが、2問目は文章自体が少し読みにくく、
3問目は「当り前」のことを言っているが、「古文」なので、まだ読めないだろう。
1問目の話は、内容自体が深い。
「おらあ、血も流さなかったし、祖国を救いもしなかった」男が、
1日に1個の帽子を作り続け、人知れずひっそりと死んでいく。
国にも政治にも左右されず、帽子を縫う作業を通して「自分の人生を縫う」作業を続ける。
自分が生きるということを自分で「引き受ける」という強さがあり、
それは同時に「ひっそりと死ぬ」という孤独も引き受けなければならない。
自分は、自分が“生きなければならないように”生きるべきだと言う。

15歳と言えば、命が芽生えたばかりで、まだ「輝く前」だ。これから輝き始める。
そんな子らが「人生」、「人が生きるということ、死んで行くということ」など、
考えたこともなければ、想像も出来ない世界だろう。
とりあえず生きて、育つことだけで精いっぱいだ。
それでいいのだけれど、15歳になればそろそろ、「自分の知らない世界がある」
ということにも気付き始めなければならない。
数学でも同じことが言える。
「一つの出来事」を、公式やテクニックを「道具として」使い、邪魔物を取り払うと、
ようやく少しだけ「本体」が見え始め、そこで初めて「考察」が始まる。
その瞬間こそが数学そのものであり、数学の面白さだ。
そういうことは、高校生にはまだわからない。
しかしそれを「感じ取れる」子は、「公式やテクニックは“道具”に過ぎない」ことがわかり、
「学びの方向性」を見つけることが出来る。
それを感じ取れない子は「公式」が数学そのものだから、数学では学びの方向性を見つけることが出来ない。
出来れば、数学でも、そういう方向性を見つけられるようになってもらいたい。
そのために、「想像もしなかった国語」を、無理やりにでも読ませている。
「こんな・・・感じ・・・かな?全然わからへん・・・」
そんな解答ばかりだが、真子・ミユ・ユウカはかなり読めた方だ。
後はほとんど読みこなせなかったが、今は、それは問題ではない。
これからいくつも、いくつも読んで、「そういう世界」の幅を広げてゆけばいい。
この教室では、ニュートンのように、「浜辺に遊ぶ少女」になってくれればいい。

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