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塾へ行かなくても?

入学式の後、真子達はそれぞれのクラスへ行き、担任から話を聞いた。
「よその高校では言うそうですが、高1から毎日3時間も家で勉強なんてできません」
ほう?世間では嵯峨野も「そう言う」と思われてるけどね。
「うちでは8時限目もあるから塾へ行かなくて“大学”へは行けます。断言できます」
やっぱりそれを言う?それを言うなら「勉強しなくて」も“大学”へは行けますよ。
そういう大学も今時は多いですからね。
昔から塾は「学校では寝ていても100点を取らせる」と言い、
最近では学校が「塾へ行かなくても」と反撃を始めた。
いいかげん・・・そう言うのは、もう、やめたら?だって、学校も塾も同じことをしてるから。
どちらも放課後に問題のプリントをやらせているだけだもの。
その内容は「いかに得点を取るか」と「いかに大学へ入るか」だけだもの。
ま、そういう意味では学校が「それ」をしてくれるのなら「塾へ行かなくても」は、正しい。
それは塾でやっていることと同じだから。
技術、受験のテクニック、最小限の努力で最大の報酬・・・そればかりだ。
そうすると生徒達はいつしか「入学すること」が「勉強する目的・意味」と思っても仕方がない。

「確か同じクラスに嵯峨野の2人がいたよな?塾や予備校に行かなかったか、聞いてみ?」
「それは明日にでも聞けるけど・・・それにしても・・」
ここ1週間のガイダンスや歓迎会、昨日の初講義などを通じて先輩や同級生の話を聞いて、
康太は落胆したようだ。
「みんな燃え尽きてる。“京大へ入る”という目的を達成したから、もう勉強はしないと。
 大学へ入ったのに“なんでまだ勉強するの?”・・そんな奴ばっかり。
 先輩に聞いても“5月になったら、誰も授業に出てこない”というし・・・」
学校も塾も、そういう生徒ばかりを作りだしてるんですよ。
だから入学式で総長は「絶望」の話をし、「専門バカになるな」の話をしたのだ。
「技術ばかりにのめり込むと人と話が出来なくなります。自分の世界が狭まってしまう。
 それだと自分の専門の中でもつまづき、伸びないし、将来仕事も出来なくなる。
 専門以外の知識にもチャレンジしてもらいたい」
そんな話に康太は膝を打って納得したのに、同級生の多くは、
「へ?総長の話?お前、あんなの聞いてたの?ああいう時の話って、聞くものなの?」
総長は「学びの大前提」を語りかけているのに、
「それは講義じゃないし、単位に関係ないでしょ?俺は必要な単位だけを取って卒業するだけ」
そういうバカばかりを、高校も塾も作り出してるんですよ・・・・・
康太は初講義を嬉しそうに話してくれた。
「哲学の先生は本も出してるけど、“本には書けなかった話をします”って言う。
 本には“自分の考え”だけしか書けんけれど、講義では“なぜそう考えるようになったか”
 の話ばかりをしてくれるらしい」
なんだかワクワクする。
「数学は3時間、記号が約束する意味”の説明ばかりで、理解するのが大変やったわ。
 その先生、教壇でじっとしてへんねん。うろうろ歩きまわって、漢字の書き順はでたらめ。
 “僕は歩かないと数学のアイデアがひらめかなくてね。数字ばかり書いてると漢字も書けなくなる”
 高校の数学の教科書は“嘘ばかり”らしい。
 今のところは“そういう公式”にしてるけど、ほとんどが“あいまい”やって。
 例えばニュートンが微分・積分を発明して何10年も発表しなかったのは、
 そこに含まれる“いいかげんさ・あいまいさ”が嫌だったらしい。
 例えば“無限に続く・・”その“無限って何なんだ?”って数学者も納得しないという。
 これは・・・数学って、それ自体がかなり難しい学問やな。その先生も説明の中で
 “ここは・・あいまいなままでよろしい。深入りすると、帰ってこられなくなるよ”という」
アハハハ・・・その話、康太じゃなくて、私が聞きたい!
京大は京大という名前が素晴らしいのではない。そういう総長や教授がいるから素晴らしいのだ。
高校時代には想像も出来なかった話が聞け、学べるから楽しいのだ。
しかし今の高校や塾やその生徒達は、そういうことを感じ取る力もなくなっている。

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