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考えさせる

1期生のヒデタカは私立大学で歴史学の教授職についている。今年も年賀状をくれた。
「生徒にものを教えることは大変です。生徒に“考えさせること”は、もっと大変です。
 受身の授業にすっかりなじんでしまい、自分から動こうとはしません」

ヒデタカはかつて「国費留学」の資格を得て単身ドイツへ乗り込み、
大学や公共の図書館で文献や資料を読みまくっていた。
そういうことが学びであり、面白さなのに、
『こいつら・・・授業に出て、黙ってノートをとるだけで・・・何が面白い?』
と言うことなのだろう。
確かに塾や進学校で「やらされ過ぎ」るとそういう生徒も多いが、それは昔からだ。
ただ、「詰め込み授業」そのものは、世間で言われるほど「悪」だとは思わなくなった。
若くて柔軟なうちに、知識は出来るだけ詰め込むに越したことはない。
しかしそこでヒデタカも言うように、「少しずつ考えて、整理しながら」詰め込んだ方がいい。
ほんの少しの差だ。その「少し考えて」という部分が今の教育にはなさ過ぎて、
「死んだ目」の生徒が多いのだろう。
では、どうすれば「少しずつ」考えさせるのだろう?正解は・・・ない。
世間では「このシステムでOK」「これさえやれば大丈夫」と、あらゆる分野で
「ノウ・ハウ本」ばかりが売れるが、「これ一つで」と言われると、なんだか安心できるが、
教育にはそういうものは・・・残念ながら何もない。
確かにうちの数学の「システム」は優秀な方だろう。
出来あいの教科書はなく、理論はすべて話を聞き、ノートに創り上げなくてはならない。
自然に「話を聞く」習慣が身につく。
話を聞いたらすぐに黒板で「検証」しなくてはならない。すぐに「考え」なくてはならない。
システム的には「いい方」だとは思うが、それが「すべて」ではない。
それだけではなく「さわやかなもの」や「ドロドロした」もの、「辛いもの」「甘いもの」
「嬉しいこと」「哀しいこと」「願い」「怒り」「喜び」・・・すべてのものが影響する。
それに、大学生でもバカは多いだろうけど、こちらの「理解を越える」奴は少ないでしょ?
「いいや!理解を越えるバカばかり!」と言うかもしれないけれど、中学生くらいだと多々ありますよ。
「ふたつのさいころを投げて、ふたつの目が揃うのは何通り?」と聞かれて、
黒板に(1,1)、(2,2)まで書いて、なぜかあとは(×)となって「2通り」。
なんで(3,3)から(6,6)まではないのかな?
たぶん・・・言葉と映像が結びつかないのだろうけど、どう直してやればいいのだろう?
実際にさいころをふたつ持ってきて、目の前で並べてやればいいのかもしれないが、
そういうことって「それで解決」することではない。
根の深さを思いやるほどに、頭を抱えるばかりだ。
「共に生きていくんだからな、お前も少しは考えろよ!」
継続する関わりや、何らかの営み・・・
「考えさせる教育」とは、そういう営みの中にひそんでいるものだと思う。

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