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教師の条件

買ってきたルーズリーフに、昨日作ったテキストを入れて・・・出来た!7人分の小5のテキストだ!
授業は来週の水曜日だから今作らなくてもいいのだけど、やり残しがあると安心できない。
私は少しも勤勉ではなく「ボケエ~」としてるのが大好きなのだが、
こんなものが残っていると、安心して「ボケエ~」とは出来ないではないか。
作業しながらこの間ウネと話したことを思い出す。
「20年前に僕の前にいた先生は35歳。今は当然55歳。
 “兄貴”と“父ちゃん”の違いがあるわけで、その違いは生徒にとって大きいのでは?」
まったくその通りだ。教師の条件の中に“若さ”は入っている。
ウネを教えていた頃は「共に考える」意識がお互いの中にあったが、
「今の先生は完成されている」ように見えるのだろうから、生徒は「聞くだけ」になるだろう。
その差はとても大きい。
いや、実際の私は少しも完成などしておらず、今もまだ教育を探し求めている。
だから続けられるのだが、その年齢は、私を見る人の眼を変えてしまう。
「先生の言うことは正しい」と思うのと「どうだかわからんけれど、面白そう」
そう思うのとでは、文字通り面白さが違う。
もちろん後者の方が「教育的」にはよりいいと思う。
いくら私が「昔と同じ、バカのままだ」と思っていても、周りがそうは見てくれない。
そこにギャップがあり、年寄りはさっさとその場を「若手」に譲るべきだとは思う。

「例えば、河原先生が入院したら、どうなるん?誰が数学教えるん?」
横山は生徒によく聞かれると言う。古い友人からも「そろそろ後継者を」と言われる。
昼飯を御馳走してもらった税理士も、「仲間の57歳が突然死した」と言う。
私もまたいつそうなってもおかしくない年齢だが、それもまた小・中・高の教育にはそぐわない。
相手は子供なのだから、教師も「生命の躍動感」にあふれている方がいい。
後継者・・・息子は康太だが、横山は「康太は賢すぎる」と言う。
「あんなに勉強が出来る奴が、中・高校生のバカを教える気になるのかな?
 ならないでしょう?教師は“そこそこ出来る”くらいがちょうどいい」
私もそう思う。入試問題を見て、
「何だこれ?・・ちょっと待てよ、これがこうだから・・・あ!こうかな?
 何?この時が違う?・・・そうだなあ・・・では、こうやってみると・・・」
そうやって生徒と「共に考え、行動する」教師が一番いい。
日曜に康太が持って帰った京大模試の問題を見て、
「え?これ、去年の入試の6番と同じ問題やで。空間ベクトルで表現を変えてあるけど、
 要は三角錐が内接する球の存在を言え・・って言ってるし・・・」
そんなことが一目でわかってしまっては、生徒は聞くばかりで共に考えようとはしない。
テレビドラマだと塾の講師が出身校を聞かれて「理三(東大医学部)です」
と言うのがかっこいいんだろうけど、現実にはどうだかね?
「名選手は名監督にはなれない」は、教育にも言えるんじゃあないかな?

悪いけれど、私は後継者のことなど考えておらず、「なるようになる」と思っている。
あと5年もしたら、それほど金を稼がなくてもよくなる。
はっきりと生徒数は減らし、「生きがいと趣味」で続けていいかと思う。
どこでそうなったかは分からないけれど、とっくに私は「生かされている」状態になっている。
「うちの子の数学見てやって」と言われることで、生かされている。
あと5年経って60になったら・・・それはそれで「新たな局面」になっているのだろう。
数学で「教育がやりたい」という若者が出てくるかもしれない。
誰も出てこず、私一代で消えてゆくのかもしれない。
どっちでもいいな・・・私は十分楽しいのだから・・・

長野の藤井さんが桃を送ってくださった。
まだ固かったのだが、3日ほど経ったのでちょうどよくなっているだろう。
1週間ほど安曇野あたりをぶらぶらしてみたいが、今年は無理だなあ。
桃にかぶりついて、その風景だけでも思い浮かべることにしよう・・・・・

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