FC2ブログ

夏授業の終わり

数学・英語・物理と激しく「格闘」した夏授業も、その終わりを迎えた。
中3は、顔がボコボコニなり、鼻や口からは血が流れ、絆創膏だらけではあるが、
2次関数の中で「座標のとらえ方」を深められた。
高2は、松葉づえをつき、腕は包帯でぶら下がってはいるが、難敵の「対数論」をねじ伏せられた。
高3は数Ⅲの全範囲を終え、センター数学も全範囲の復習をほぼ終え、
英語では康太以外は「自分の点数」に泣いてはいるが、「方向」は定められた。
私もまた、身も心も傷だらけではあるが、その分、満足できる夏授業であった。

一つのテーマを限りなく深めるとき、人はそれまで意識しなかった自分の弱さを知る。
その弱い部分に塩を塗り、ギリギリとさらに痛めつけておく。
「鍛えていく」とは、そういうことだ。
特に受験生は分かりやすい。
半年後、試験会場へ臨めば、自分以外に頼るものなど何もない。
すべてを自分一人で処理しなくてはならない。
私が代りに試験を受けてやるわけにはいかないのだ。どれほど鍛えても過ぎることはない。
そういう「鍛え」は、短期の「講習」で出来るものではなく、「きれいごと」で出来るはずもない。
生徒も私も「必死」であり、「死に物狂い」なのだ。
単に「知識を増やす」だけのものではない。それだけなら、何も発見はしない。
死に物狂いの作業の中で生徒は、教科以外の「何か」を発見してゆく。
その「何か」こそが教育そのものであり、卒業生が懐かしく思い、感謝までしてくれるものなのだ。
その「何か」を発見することこそがこの教室の、私の教育の願いであり、真髄でもある。
河原は上手な授業をするのだろう・・・・それは間違っている。
すぐに成績を上げてくれるのだろう・・・それはうちの塾じゃあない。
すごい大学に合格させてくれるのだろう・・・それは生徒が勝手に行くだけだ。

しかしそれらは、いくら言っても分かってはもらえまい。
共に作業した生徒にしか分からないものだと思う。
そして私は、生徒がわかってくれれば、それだけで満足してしまう。
よい夏授業であった。授業再開は、29日の月曜からだ。

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

河原

Author:河原
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR