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埋み火 (うずみび)

日曜の昼飯は「喜撰坊」の蕎麦と鳥釜めしだ。
元プロサッカー選手のマナが今日、教員採用の面接を受ける。壮行会みたいなものだ。
大学生は試験期間に突入するため、3年生までにすべての単位を取ってしまい、
この1年は「試験なし」のホリカワだけがつきあった。後は家で暇にしている康太だ。
マナを車で拾い、東宇治インター前のファミマで待っていたホリカワとドッキング。
ホリカワはバイクだ。笠取インターで降りて、喜撰坊に到着。
康太は何度も来ているが、マナとホリカワは初めてだ。
蕎麦と釜めしに舌鼓を打ち、女将の林さんが色々面白い話を聞かせてくれる。

この3ヶ月、マナには「論文指導」をしたわけだが、内容はそれに留まらなかった。
教育とは本来どういうものなのか、どう取り組むべきなのか。
現代日本での教育のゆがみ、その中で教師に出来ること、出来ないこと。
その他、私に思いつく限りのことを論文に書かせ、考察させた。マナはよくついてきたと思う。
「合格を目指すだけの論文」ならそこまでの必要はなかったと思う。
しかし私にはもう「そういう指導」は出来ない。理想論だけや公式論などいらない。
マナに伝えておきたかったことは、貸し与えた「リターン・マッチ」に描かれている。
自身が「札付きの不良」だった脇浜義明さんは、定時制高校で英語を教え、ボクシング部の顧問もしていた。
『いつの頃からか貧乏人の子がケンカに弱くなった。その上怠け者で、横着で、
 金持ちのように不人情になった・・・・・・・・・・・・
 唯一の誇りであった肉体と腕力からも疎外されたら、僕らには何が残るというのだ。
 肉体と腕力の上に、貧しい人たちの優しさがあった。
 ゴンタクレが消えるとき、優しさも失われてゆく・・・・・・』
そういう子供たちに「教育」は、いったい何が出来るのか?脇浜はボクシングに「何か」を求めた。
「本来の教育」に「一方通行」などあり得ない。
「あんな頑固ジジイに、付いていけるか!」
ほんの僅かなすれ違いが、たとえそれが優しさゆえのものであっても、
生徒と教師の双方を傷つけてしまう。幾日も「来ない生徒」を、脇浜はひとりで待っていた。
その教師が「何者であったのか」を、生徒が多少なりとも理解するのには時間がかかる。
「すぐにその場でわかる教育」を、私は教育だとは思えなくなっている。
作者の後藤さんは言う。
「人は人に対して、そうたいしたことが出来るわけではない。教育も畢竟、
 人間の関係であるならば、例外ではありえない。が、それでもなお、
 人は人から、一つの“契機”を受け取っていく。それが、時として思わぬところに人を導いていく。
 そして、たとえ短い期間であっても、またたとえ擦れ違いのままに終わったとしても、
 この教師に接した少年たちに、なにものかを刻んできたことは確かだと思われる。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 脇浜が生徒達に残したものは、小さな“埋み火”ではなかったか。今振り返ってそう思う」

プロスポーツの敗者は「きちんと食べていく」ことだけでも大変なことだ。
稀な生い立ちのマナにとっては一度目のリターン・マッチ(敗者復活戦)であろう。
出来れば「一発」で合格してもらいたいものだが、平均すれば3年以上かかる。
ついに教員にはなれない者も数多い。マナは何度リターン・マッチをせねばならないのだろう?
夕方教室のゴーヤに水をやりに行く。
高3のケンタ・ユウスケ・コウヘイがいつものように勉強している。
帰りがけにはヒロコが自転車を押してやって来た。
この子たちに私は「小さな埋み火」など残せるのだろうか?
そもそもすべての卒業生に、そのようなものを残せたのだろうか?
マナに伝えたかったのはそういうものであり、私の「見果てぬ夢」でもある。

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