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ボクシング

ボクシングは、やるのはまっぴらだが見るのは大好きだ。
世界タイトルマッチなど欠かさずに見る。時間が合わなければビデオに撮ってでも見るほどだ。
プロの世界は「名誉と金」だけで動くし、それでいいのだが、アマチュアは意味合いが違う。
名誉はあるが、金とは無縁の世界だ。そんなものを、なぜやるのだろう?
アマチュアでも殴られたら、相当痛いですぜ。

「懸命」でないと生きてゆけないのは、なにも被災地の人々だけではない。
大抵の人は懸命に働き、懸命に子育てし、懸命に生きている。
そういう人の方がより人生を楽しんでいるはずだ。「わずかな幸せ」をたくさん見つけるから。
見よ!私を。ずっと懸命に生きているので「年収300万円」という金持ちであり、
人からは「先生」などと呼んでいただき、今や毎日ゴーヤを収穫して食べている。
これほど幸福な人生を送っている者など、他にはいまい!
そういう幸福を見つける能力を養うために、本当には教科が存在している。
数学を語学を、音楽や美術を学ぶことによって、そういう幸せを見つけることが出来ますよ。
数学の中には無数の「約束」があり、それらは見事に調和している。世の中も基本的にそうだ。
「見たいテレビがあるのに、塾だあ~~!」
そんな「我慢」も覚えることが出来る。
ところが・・・教科を通しては、どうしてもそれに気づかない子がいる。
「楽しけりゃいいじゃん。俺の勉強量は、1日20分が限界。勉強なんていらないじゃん」
そうやって気がつけば、友達は減り、叱ってくれる人もなくなり、
生きる力そのものを失っていく若者がたくさんいる。
そういう子の何人かを、ボクシングやスポーツで拾い上げることが出来る。
なぜボクシングか?ボクシングは基本的に「不良の憧れ」だからだ。
「ケンカに強くなりたい」・・・動機はそれで十分だ。ただ、続かない子の方が多い。
髪を染め、眉を剃り、ズボンを下げて、特に努力せず「おらあ~!」と粋がってるだけだから。
人を殴ることしか考えてないしね。そこに「殴られる自分」なんて存在しない。
しかし「鍛えられたボクサー」にかなうはずもなく、スパーでボコボコにされる。
大抵の子は「現実」の前に、尻尾を巻いて逃げだす。
けれど・・・逃げずにしっかりと現実を受け止める奴もいる。
殴られたら「ひどく痛い」ことや、汗を流して努力・苦労しなくては強くなれないこと、
そこには「ルール」が存在すること、自分はどのように生きねばならないかを学ぶ子がいる。
後藤正治さんの「リターン・マッチ」には、定時制高校のそういう生徒達のことを淡々と描かれている。
上達するほどに「ケンカに強くなりた」かったはずなのに、ケンカなどしなくなる。
がんばっていれば必ず誰かが目をつけて「うちに練習に来ないか?」と、声もかかるようになる。
世界が広がるほどに、自分のこともより見えてくるだろう。
『・・・俺は・・出来れば将来・・教師になろう。ボクシングで学んだことを、
 生徒に伝えられるような教師になりたい・・・・それには勉強しないとな。
 俺はなんて馬鹿だったんだろう。中学時代に、あんなに勉強しなかったなんて。
 今からでも間に合うのかな?・・・しっかりと勉強もしよう』
教科では気付かなかったそういうことに気づくなら、とんでもない「大儲け」だ。
「へ?そんな奴はいないだろ?」
いるんだよねえ、それが。「どんな奴もいる」のが、うちの教室だから。
「今日も、散々殴られてくるがいい」
とても頼もしく、期待し、心温まる思いで見守っている。

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