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育むものは 作業の中に

中2のコウタとショウヘイのお母さん達が来られ、午後にゆっくりお話をした。
コウタとショウヘイ・・・個性は全く違う。
ショウヘイは周りから思われている「目から鼻へ抜ける」ような子ではない。
実は自分に自信もなく、慎重に慎重に理論を追い、解き進めていく。
10分かけて解き、さらに10分かけて見直しをする・・・というような。
『そこまで見直すか?さっさと次の問題をやってくれよ・・・』
そう思うけれど、今の時期にそれはいいことなのでそのままにしている。
ま、計算は自然に速くなるだろうし、その慎重さはのちにこの子の武器となるだろう。
コウタは理論を理解するのにすごく時間がかかる。
だからどうしても親も手伝って「パターン暗記」を進めてこざるを得なかった。
しかしそれが手助けとなるのはせいぜい中1までで、今後それを推し進めると破綻する。
今後はどうしても知識を「府に落とす」ことがなければ進んでいけないのだが、
どのようにこの子なりの「落とし方」を身につけさせるかが問題で、
いつまでもだれかが「正解を教えて」いては、たぶんそれは身に付かない。
人に頼るばかりだと、理解は深まっては行かない。それを深めるものは、
「どうして俺にはこれがわからないのだろう?」「どうしてこんなに遅いのだろう?」
という思いを胸に、「自らの手で」正解の出ない作業を繰り返すしかない。
本当に苦悶し、自分なりの「府に落とす方法」を自分で創り上げないと理解は深まらない。
小学生時代には「図の描き方」「正解の仕方」ばかりしかしてやれなかったが、
中学からのこの子には、私は「苦悶」の量を徐々に増やしていった。
説明が、考え方がよくわからない・・・よくわからないのに手を動かして何かの作業をする。
生徒が苦悶する姿を見るのは教師にとっても「針のむしろ」なのだが、そのままにしておいた。
正解を押しつけてわかったように錯覚させればお互い気が楽なのだが、
そればかりをやればこの子はいつまでも自分の足で歩けないし、それは将来の破たんを意味する。
では、苦悶さえ与えておけばそれでいいかというと、良くなる保証などどこにもない。
苦しみだけで終わってしまうのかもしれない。そういう恐怖は常に私の中にある。
しかし人は正解の中で学ぶものではなく、苦悶する作業の中に学ぶことは確かだ。
残念ながら塾でも学校でも、正解を押しつけるばかりで、苦悶の作業は排除されてしまっている。
苦悶の作業なんて誰もしたくはないし、私だってやりたくもない。
「はい、これが正解ですよ、わかりましたかあ」とやる方が楽しいに決まっている。
しかしそれで、知識の伝搬だけで、子供は自分の中に、何を育むのだろう?
進学や資格を得るためだけの「単純作業」に、何を学び、どう強くなっていくのだろうか?
私のやり方がいいのかどうかは分からないし、自信もそれほどはない。
けれど世の中のほとんどが「知識の切り売り」を望み、「その中の作業」を排除するなか、
私だけでもそれをするのがいてもいいかと思う。
そんな作業が1年以上も続き、確かにコウタは少し逞しくなってきたように私には見える。
「どうしても理解しない」と母を嘆かせていた「速さの問題」を、誰の力も借りず、
自分で理論をたどり、完全に解いた。
そうやって私は生徒を育てようとしている。その作業に終わりなどない。

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