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読書会迫る

今度の日曜日、29日から読書会が始まる。生憎の雨のようだ。
「16歳の教科書」「40歳の教科書」を新たに読んでみる。
「こんなこと、書いてたっけ?」
まちゃみちゃんとナナセに借りて一度読み、自分で買ってきてもう一度読み、
今回3度目に読むけど、内容は忘れていることだらけだ。おおざっぱには覚えてるんだけどね。
「16歳の教科書」では、やはり高校生に語りかけるように、各教科のスペシャリストが語っている。
ありがちな「こうやれば、すべてうまくいく」みたいなことは、誰も語っていない。
「こういう見方があるよ、こういう方法もあるんだ。
 これって、人生を生き抜くことと同じだと、僕は思うんだ・・・・」
すべての人が、そう語りかけている。
とても面白い。だから読書会で読んでみる気になった。
高校生向けに見えるけれど、我々親の世代こそ「再考」すべき内容ばかりだ。
だって、40歳になろうが50歳になろうが、「高校時代の自分」と何が違うのだろうか?
さんまだか伸介が言ってたな。
「俺らが子供の頃50歳の人を見たら『なるほど、人生をわかったはる』ように見えたけど、
 自分が50歳になってみると、何もわかってへん。昔の人もきっと、こうやったんやろな?」
「その通り!」だと・・・・思うのは私だけではあるまい。
この本に投稿してる人たちも、ことごとく同じことを言っている。

人生って「誰もが初体験」なのだから、「分からないことだらけ」なのは当然だ。
何も見えない霧の中を歩いているようなものだけど、学ぶことで、
ほんの少しだけど霧が晴れて、先が見えることがある。
一度霧が晴れるとずっと「そこ」が見えるのかというと、そうではなく、また霧に覆われたりする。
けれどそういうときには別のところが見えてたりもするから、動ける範囲、「自由度」が上がる。
一度来てみて「賢いお母さんたちばかりだから」「本がつまらない」「たいした会じゃない」
(確かにそうだけど)と来なくなる人ほど、不自由なままでいる人が多いんじゃないかな?
読書会に参加したら「たちまちうろこが取れて、すぐに賢くなる」ことを期待するからでしょ?
それは「塾へ入れたら、あっという間に賢くなる」ことを期待するのと同じだ。
「学びとは、そういうことじゃあない」ことを伝えようと、この読書会はあるんだけどね。
毎年参加してくださるお父さんやお母さんは、そういう「学び」を求めて来てくださる。
だから聡明な人達ばかりだけれど、さっきの「50歳」の話と同じで、
「霧の中を歩んでいる」ことに変わりはない。
そういう人たちと話し合い、感想を聞いたりすることは、すごく勉強になると思う。
だって「必ず参加している」私が一番勉強させてもらっているもの。
読書会は「その集まりの中で、何を見つけるのか?」という「学びの場」であって、
「ありがたい教義」を授けられる場ではない。
ひたすら「学びの場」であって、それはここへ通う生徒にとっての場と同じものだ。
私は器も大きくなく、人間も出来ていないので、通う生徒や親とは学び合おうとするが、
通っても来ない人のことなど、知ったこっちゃない。学びの場で学ぼうとするばかりだ。
雨の日曜日。さて、どういった学びの場になるのだろうか?

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