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自身の変遷

40年ほど前の塾や予備校は実績を上げることとパフォーマンスで
すごいことになっていた。時給50万円の講師もパフォーマンスの一つだ。
「どこかへ入れること」は今も変わらないが、
騒動の中で子供や教科内容の姿が見えなくなっていることに気づいた。
「数学は、数学自体が楽しいのに・・・」
初期の頃の私はそれを伝えようと、そればかりを気にしていたように思う。
「アホしか行かん塾」と言われたそのアホ達が実績を出していくと
「できる奴しか行かん塾」と、勝手に評価は変わっていった。
数学の楽しさはずいぶん伝えられたと思うが、
「その楽しさが何のためになるんだ」という疑問が、
15年を過ぎるころから常に私の中にあるようになった。
「ダメだ、足りない。何のために数学なんかをやらせるんだ?」
答えの方向を見せてくれたのは卒業生たちの、その後の姿だった。
ウネ・コウヤ・ユカ・トキヒロ・キノシタ・・・・とどめは康太と真子だろうか。
高校までの成績も、進学大学もバラバラだが、歳を重ねるほどに厚みを増し、
社会ではバリバリと働き、差などなくなっている。
やはり・・・高校や大学がゴールなどではありえない。
私がこの子らに何らかの手助けをしたとすれば、
その後の人生を楽しく学び、生きていくためのフォームづくりしかありえない。
そのフォームの基本づくりに手を貸せたんだと思えるようになった。
そうするとすぐに「そのフォームを見せて」と世間の人は言うが、
それは目には見えないものだし、完成するものでもない。
本まで出したのに、まだ私にはうまく説明することもできないが、
それは卒業生たちも同じだと思う。
誰もうまく言えないが「人生のフォームづくり」は・・・確かにある。
この間トキヒロだって自分の子供を連れてきて、
「ここで学んだ“何か”が、僕を成長させてくれた」としか言えなかったもの。
いまだに私は生徒の成績でも進学でも負けさせる気など微塵もないが、
そんなことよりなにより、そのフォームづくりを意識するようになった。
「楽しい数学」でにっこりと授業してたのが、「なんじゃ、われ!?」
とにらみつけるほうが多くなったかもしれない。
「その先にあるもの」を見つけようとする数学。
今私がやっているのはそういうことだと思う。
参考書のように「難しすぎて」と捨てられるのかもしれないが、
それでもかまわないと思っている。
表面的で、ただ甘やかす優しさなど、くそくらえだ。

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