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集中力と関心の深さ

一つの点が一定の条件で動いた時に描く図形を「軌跡」と言う。
「この条件で動くと、その点はこういう円を描く。
 それを見つけたのはアポロニウスという人で、だからこの円はアポロニウスの円と呼ばれる」
作図方法の確認、演算の確認をし、黒板でそれらを練習させる。
「出来ました」・・・そこに書かれた方程式は直線のものだった。しかも不完全な。
円の方程式は嫌になるほど練習してきた。直線の方程式も。
その軌跡が円になることも、たった今話を聞き、確認した・・・
なぜこの子は自分の「演算結果」に驚きの声を上げないのだろう?
「な、なんで?円のはずなのに、なんで直線の式になるの?」
バレンタインのチョコレートを作っていたのに、冷やすとパンが出来上がったら、
誰だってびっくりしないだろうか?それと同じことだ。
しかしそれに驚くことも、不思議に思うこともしない・・・
「まったくの無関心、集中力もない」と言うしかない。
それが「数学だけのこと」ならいいが、その子を見ていると、多くのことに同じ影を落とす。
『どうしたものか・・・』いつも考え込んでしまう・・・・・

「賢い子、理解を深める子」は、集中力と関心の深さがはっきりと違う。
「なんでこうなるのかな?こうしてみると・・ほう~、なるほど・・・」
そんなことをやっている時の集中力がとても高く、深く、一気に理解を深めてしまう。
「僕にはそれが足りません。どうしたらそうなれますか?」
そのことに気づき、悩む生徒も出て来る。
ふふふ・・・私にもわからないのだよ。私も「それが出来ない人」だから。
「天性のもの」と言ってしまえばそれまでだが、そうは言いたくもない。悔しいから。
「どこまで関心を持とうとするか、そしていつまで持とうとし続けるか」
結局はそれに尽きると思う。少なくとも
「面倒くさいから、誰かそれを教えて・・・今すぐ」
などと出来ることではないし、教えられる人もいない。
いや、塾産業だけは「すぐに教えます」と言うけれど、私が教わりたいものだ。
そもそも「すぐに賢くなってしまう」ことが仮に出来たとしても、それに価値はあるのだろうか?
賢くなりたいと、それに向かっている時にこそ、その価値はあるのだと思えてしまう。

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