FC2ブログ

賢さだけを求めて ②

高校からの教科は「形だけ」から「思考」へと変わる。これが昔から知られていない。
中学まで言われることを真面目に「覚え」て、5ばかりの子が
高校からはどうにもわからなくなることはよく見かけられた。
それは無意識にも「覚えること」が勉強だと思い込んでいるからだ。
もちろん覚えるべきことは覚えなくてはならないが、それよりも「理論」や
「とらえ方」、「見る方向を変える」ことなどのほうが重要になる。
そういう姿勢こそが将来の「答えのない世界」へ踏み込む基礎となるからだ。
しかし「姿勢を創る」ことはとてつもなく面倒で大変であり、
創り上げられるかどうかの答えもなく、何に役立つのかも言えない。
そういうものは庶民には受けない。どうしても「すぐに役に立つもの」を求めたくなるし、
高校でも「これさえ覚えればOK] 「これで合格」など、
合格という「資格」だけを求めるようになってしまった。
当然学力は下がる。学力とは思考力そのもののことだから。
それでも今は「簡単便利に」「特に勉強しなくても」行ける大学はあり、
「大学入学資格」は手に入る。「資格」が目的だからそれでいいのだ。
引き受ける大学教授はうんざりし、悲鳴を上げているだろう。
思考力がないのだから使いものにならない。
高校の教師だってそんなことは知っている。
思考力を求める問題をテストに出せば「平均点20点」になってしまい、
学校からも生徒の親からも怒られる。「ちゃんと教えてるんか!」と。
思考力を上げるのは時間がかかる。上がる保証もない。
教師がとる手段は一つ。「問題の質を下げる」ことだ。
中学生レベルの「暗記問題」ばかりを出せば、何とか平均点50点くらいにはなる。
それで生徒が70点も取れば「自分は賢い」と気分もいいだろう。
実際には何の学力もついていないのだが、教師はそんなこと知ったこっちゃない。
求められることを真面目にやっているだけだ。
私もよそのことは知ったこっちゃないが、うちの生徒にはそれでは我慢できない。
点数がどうなろうがひたすら学力を、賢さだけを求める。
その姿勢から外れるとビシビシ叱り、怒鳴りつける。この間の高1がそうだった。
その時の私は生徒が中学時代には見たことがないほど恐ろしかったろう。
ああ、鬼にでも何でもになってやる。姿勢づくりにはあと3年しかないのだから。
私がやろうとしていることの意味を生徒が知るのは10年以上先だろう。
そういうものだし、それはそれで構わない。
ひたすら賢さだけを求めて、この子たちもまた、しっかりと送り出したい。

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

河原

Author:河原
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR