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後天的なもの

テレビの音楽番組で私と同世代の世界的なバイオリニストと、
東京芸大音楽科の学生たちが出演しており、
「絶対音感とは生まれつきの才能だろうか?」という話題になった。
絶対音感とは、ポンと一つの音を聞いて、それがラの音だとわかったり、
初めて聞いた音楽を即座に楽譜に書き写したりできる能力のことだ。
バイオリニストは「それは生まれつきの・・・」そう言いかけた。
私の世代以上はなんとなくそう思っていそうだが、学生たちは全員が即座に、
異口同音に「後天的なものです!訓練でできるものです」と応えた。
なんだか・・うれしくなった。
中学生や高校生は一つの才能を、まるでゲームの「勇者」のように
生まれつきすべてを持っているものと思い込んでおり、
「いいなあいつは、才能があって」などとやっかみたくなる。
しかし、それは間違っている。
私は数学や卓球を指導する立場で、稀に生徒の才能を感じることがあるが、
そこでいう才能とは、全体のごくごく「一部」だ。
「この子はボールの触り方が柔らかいな」「この子は強くはじくことができるな」
その程度だ。それくらいは誰にでもあり、それだけではまだ勝つこともできない。
それが花開くかどうかは、圧倒的に後天的な努力次第だ。
絶対に必要な後天的努力とは、ありふれた、地味なものばかり。
時間に遅れない、休まない、正面を向いて話が聞ける、挨拶ができる、少し考えてみる・・・・
才能を教えることはできない。しかし後天的な努力は教えることができる。
どんなに才能に溢れて見える人でも、それは圧倒的な努力があってこそだ。
「いいなあいつは」とやっかんでいた私のような凡人は、
単に後天的な努力をしていないか、足りないだけだったのだ。
今の教育現場こそ、そういう後天的な努力を伝え、鍛えるべきだ。
話は聞かない、立ち歩く、授業中でも好きなことしかしない。
それでまぐれで点を取ったり、ちょっとした大学に受かったからどうだというのか?
それは才能は開かないし、何の意味もないように私には思える。
新中1・高1のスタートのこの時期、私は「心得」をこんこんと伝える。
「ばか者!」と怒鳴る。後天的な努力とは「躾」に他ならないからだ。
ガキに好かれたい歳ではない。躾が嫌ででやめるのならそれで結構。
思えば・・・31年間私がやろうとし続けているのは、それだ。それしかできない。
だから今日もそれを続ける。

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