FC2ブログ

教養としての数学

「あの人は教養があるなあ」と思う時我々は、その人を信用するし、
一緒に仕事をしていても楽しいし、安心もする。
教養ってどういうものだろう?
教養の高い人は物事をたくさん知ってるし、洞察力が深い。
では、物事をたくさん知っている人は教養が高いかというと、そうでもなさそうだ。
クイズ番組は私も好きでよく見るが、芸能人でも知識量の多い人には感心する。
東大・京大対決あたりになると「何でそれを知ってるの」と、逆に不思議に思うくらいだ。
感心はするがしかし、「教養が高いなあ」とはあまり感じない。どうしてだろう?
それはたぶん、教養って競い合うものではないからだ。知識量を競うものではない。
クイズ番組をいくら見ても、多少知識は増えても、教養が高まるとは思えない。
まあ、ゼロではないにしても、教養とは相容れない性質を持つのだと思う。
それは受験勉強でも同じことが言える。
受験は点数を競い合うのだから、いくら受験勉強をしても教養は高まりにくい。
林先生が浪人生をどれだけ東大に入れようが、最後の言葉は
「もう、この1年の勉強は忘れてください。何の役にも立ちません」
というのは、おそらくそういうことを言われているのだろう。
私の願いも「数学で生徒の教養を高めたい」ということだ。
中学生や高校生で教養が完成するなどということはあり得ない。
あたかも完成するかのように言う塾はあるが、全て噓だ。
せめて「将来教養を高めるための道具」の位置にまで高めておきたい。
そのためには問題そのものや取り組み方の質を相当高めなくてはならないし、
「点数競争」とは相容れないものだから時間もかかり、すぐには結果は出にくい。
だからうちの生徒に自覚こそないけれど、受験では知識量で勝負しているのではなく、
洞察力の深さで勝負している。教養の高さで勝負しているといえる。
だから知識量の割には国立大学への進学率が異常ともいえるほど高い。
考えてみればそれは当然の結果だ。
国立大は知識量よりも洞察力の深い生徒をほしがっているし、そういう問題を出すからだ。
その実績を勘違いして「うちの子に5を取らせて」という親もよくいるが、
「それはよそのところでやってください」と、ほとんど全部断っている。
何で私に断られるのかわからず、怒り出す人もいる。
「うちの子が勉強できないから取らないのか!」なんて、勘違いも甚だしい。
あなたが「この子は点数が取れない、馬鹿だねえ」と思う子を思い浮かべてください。
その子たちはすべてうちの生徒でしょう。
それでも教養を高めようと、うちで数学や英語と取り組んでいるのです。
それは昔から、そしてこれからの変わらない姿勢です。

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

河原

Author:河原
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR