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「つながり」 がわからない ②

インターハイ予選会場で選手の親に聞いた。
「毎日少しずつ勉強はしてるんですね。土・日もできるだけ頑張って。
 けれど数学の成績はどんどん下がって、もうテスト結果も見せなくなりました。
 数学だけじゃなくて他の教科もわからなくなってきたようです。
 勉強不足なら“勉強しろ”とも言えるんですが、勉強はしてるし・・・見ていてかわいそうになってきました」
それはもう「数学のさわり方」を間違ってますね。私の高校時代もそうだったし、そういう生徒は多い。
たぶん間違いなくその子は「毎日頑張って」教科書を覚えようとしている。
以前にも書いたが教科書は見事に大量の知識を載せているだけに、個々のつながりを書けない。
その子には数学の一つ一つが単独の、何の関係もない象形文字のように見えているだろう。
さらに数学には同じ式を形を変えることがよくあるが、その子の考えることはよくわかる。
「どちらでも答えは出るんでしょ?だったら片方だけ暗記しとこう」
確かにその「練習問題」だけならどちらでも答えは出るのだが、答えを出すのが数学ではない。
なぜ同じことを、わざわざ形を変えるのか?二つでどう違ってくるのか?
そういうことを考え、式を変形して行くことに数学が存在している。
それをやることで少し数学が「わかって」くる。そういうことが高校時代の私にもわからなかった。
単独の式を暗記し、問題集の答えを見て「解き方」も暗記しようとする。それは数学ではない。
数学ではないことをいくら頑張ってやっても、数学がいつまでもわからないのは当たり前のことだ。
野球ばかりやっているのに「なぜサッカーがうまくならないのだろう?」と言うに等しい。
数学のつながりや変化を見るというのは、すなわち「学び方」を見るということだ。
学び方を見ないと恐ろしいことに、その子のようにどの教科もじり貧になってしまう。
数学の変化に目を向けるということは、ごく稀な子を除いて、自力で気付く子などいない。
しかもそれは「聞き流すだけで」とか「これだけですべてOK」と言うものではない。
週に1~2回共に作業し、「それはうまくできたなあ」「それ、全然あかん」
指導者が常に気を配り、そういうことの繰り返しの中で徐々に形作られることだ。
当然時間はかかる。学びとはそういう「芸術作業」なのに、今の時代の「ニーズ」には合わない。
「聞き流すだけでわかるようにしてくれ」「どれか一つだけでわかるようにしてくれ」
それができればいいなと私も思うが、学びとはそういうものではなく、断じてそれは出来ない。
宣伝ではあたかも出来るかのようにばかり言うが、皆それにだまされてしまう。
うちの生徒は数学が得意になり、他の教科も何とか形を整えるようになる子が多いが、
毎週私から「ここを見んか!」と怒鳴られ続け、少しずつ見られるようになっていったにすぎない。
数学じゃないことに大量の時間をかけて、やがて潰れていく子を見るのは悲しいけれど、
「一言のアドバイス」ではできるものではなく、私にはどうしてやることもできない。
高3のアキトは鈍臭い生徒でアホなのだが、昨日見事な数学のさわり方を見せた。
毎週来てくれる生徒にそういう作業をすることだけで精一杯だ。

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