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精密さと、大雑把さと

教育って、非常に精密な部分と大雑把な部分を併用しないとうまくいかない。
私の場合「テーマを導入」する時には思い切り精度を上げる。
それは「ねじ一本」までも「なぜそういう使い方なのか」まで説明し、練習させる。
生徒は集中しなくてはならない。私語はもちろん、一切の我儘を許さない。
目を見開き、息をひそめ、ひたすら集中して・・・・楽しい雰囲気などどこにもない。
しかしその瞬間こそ、たぶん、数学をやることの一番楽しい瞬間だと思う。
一つ一つの理論を確認し、組み立てて行く。
「なるほど・・・こういう風に出来上がってるんだ・・・」
それがわかることが一番の楽しさで、それを積み上げて行けば「数学の像」も捕まえられる。
この教室の多くの生徒が「数学のモンスター」に育つのは、
おそらく私が誰よりも「その部分」に力を入れているからだと思う。
基礎論を積み上げ、応用まで行く。それはある意味、拡散していくということだ。
その時には生徒は大雑把に捉えておく。自由度を上げるのだ。
「どこまでもじっと睨まれる」って、嫌じゃない?息が詰まるよね?
自由に考えさせ、間違えば軽く修正してやればいい。
たまに宿題をやってこなくても・・・もちろん「バカ者!」と叱るけれど、ま、放っておく。
この大雑把さもないと、教育現場はうまくいかない。
精密だけでもダメ、大雑把だけでもダメだ。
これは何も教育に限ったことではない。
「人権、人権、人権・・・」「コンクリートから人へ、人へ、人へ・・・」
もちろんそれは正しいことに違いない。けれどあまりにも細かく、精密さを追うから、
今の人は身動きが出来なくなり、国は借金で潰れそうになっているように思われる。
私を筆頭に、人って大雑把にしか動けないように出来ているではないか。
そのアクセントとして、時々精密さ「も」発揮するだけのことだ。
昔マラソンの瀬古を育てた故・中村監督の言葉が思い出される。
もちろん大雑把に遊んでばかりだと試合には勝てないし、仕事にもならないが、
「オリンピックレベルまで押し上げるのは“その一瞬”だけ。
 その状態を一週間も続けると、人はたいてい死んでしまう。
 だから試合が終わった後の私の仕事は、大急ぎで選手を通常の状態に戻すことです」
う~む、私はまだ甘いかな?もっと生徒を絞ったほうがいいかもね。

私立大入試に突入している。間もなく私立高と公立校の適性検査だ。
その動向は明日にしよう。

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