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読書の入り口

今日は国立病院まで定期検診。
待ち時間の間暇なので、今日高2に渡す2004年度の京大国語プリントを持って行った。
2問目の文章は明治から昭和にかけて活躍した哲学者・西田幾多郎の「読書」。
古いものを出すんだなあ。旧仮名づかいだぞ。今風に読んでみよう。
「偉大な思想家の思想と言うものは、自分の考えが進むに従って異なって現れて来る。
 そして新たに教えられるのである。
 初めてアリストテレスを読んだのは、30過ぎの時であった。まったくわからなかった。
 しかし50近くになって、突然アリストテレスが自分の中に生きてきたように思われ、
 多大な影響を受けた。
 私は思う。書物を読むと言うことは、自分の思想がそこまで行かねばならないのだ」
私もまた50の半ばになって、そういうことがわかってきた。
「何でもわかりやすく、詳しく丁寧に“言葉で”説明せよ」
文科省が現場の教師に強いていることだが、「今の生徒には」どうしても理解できないことは多い。
では、どうすればいい?身体と心の奥に刻みつけておくしかない。
自分の思想が成長して初めてその意味がわかるだろう。
その時に刻みつけられていたものが「取るに足りないもの」と思えば、捨ててしまうがいい。
それはそれで、仕方がない。

「偉大な思想家の書を読むには、その人の骨(こつ)と言うようなものを掴まねばならない。
 そして多少とも自分がそれを使用し得るようにならなければならない。
 骨のない様な思想家の書は読むに足らない。書を学ぶと言っても、字を形を真似するのではない。
 アリストテレスならアリストテレスに、物の見方・考え方と言うものがある。
 それを多少とも手に入れれば、そうどこまでも詳しく読まなくても、
 こういう問題なら、彼ならばこう考えるだろうと言うことが予想できるようになる。
 私は大体そういうようなところを見当にしている。それで私は全集と言うものを持っていない」

な、なるほどね。河合隼雄さんなんていったいどれほどの本を出しているかわからないけれど、
かいつまんで5冊ほども読めば、だいたい同じことを言っていることがわかる。
これは「国家の品格」の藤原さん然り、最近よく読む内田樹さん然りである。
骨とは真髄とでも訳せばいいのだろうか。
文章はまだまだ続き、「一つだけの思想ではいけない」こと、
「多数の思想の中でどのようにしてそれが生き残って来たのかの歴史的背景」を読むことなど、
多くの示唆に富んでいる。
本当ならこの本を買ってきて読むのがいいのだろうが、それが望めないならば、
せめて入試問題の中にでも、断片的な読書でも、そういう「知」のありかを知らせておきたい。
読んで感じたことを書くのが「解答」であるが、その解説もじっと読んでみる。
自分と考えが違っても、「そうか、そういう見方があるんだ」と、とても参考になる。
90分の試験問題だけど、解説まで詳しく検討すれば、ゆうに1週間はかかるだろう。
中2に渡している適性検査の国語も、レベル的には同じである。
そりゃあ難しい。しかしそれも「慣れ」だろう。嫌がろうがどうしようが、何度も触れさせる。
そうやってまだわけもわからない「知」を、身体の奥に刻みこんでおく。
それは数学でも同じことだ。
最近ほんの少しだが、中1のコウタ・中2のソウタなんかも、問題の意味がつかめ、
解けるようにもなってきた。

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