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真心 ③

社会へ出て数年、やはり私は教師になろうと決心し、20代後半になっていたが会社を辞め、
教員資格に不足していた教育心理・教育原理の2教科を取るため、1年間大学へ戻った。
一度社会でもまれてから大学へ戻るとどの勉強も楽しく、新鮮で、意欲的に学べた。
学生はというと後ろの席から埋まりだし、授業中は寝ている。かつての私の姿だった。
社会人だったとはいえ貯金などなく、食べるためには働かねばならず、塾講師の仕事を見つけた。
任されたのは中1・2・3の数学。どれも2クラスずつあり「出来ないクラス」の方だった。
『中1の1次方程式?さて・・・どう教えればいいんだ?』
大学を出てからそういう勉強などしたこともなかった。しかし中1だから見ただけでも答えはわかる。
『しかし解くのは子供の方だしな。どう解かせようか?・・・え~い、全部解いてみよう』
見ただけでわかる問題でも、とにかく全部実際に紙に書いて解いてみた。
すると・・・数字によってはミスしやすかったり、意外に解きにくかったり、
見ただけではわからなかったものが指先を通して私の身体に入って来た。
そういうところは生徒もすぐに間違えるから、前もって類題を作って注意したり、授業中にすぐチェック出来たりした。
指先を通してわかることがもう一つあった。それは解くのにかかる時間だ。
その教室では生徒が黒板で問題を解いていたので(後にそれを私も取り入れた)
立っていると疲れるので適度に席に戻してやらねばならない。私は時計を見ながら問題を解いた。
この計算問題全部を解くのに、私で5分・・・ということは生徒なら15分から20分かかる・・・
そこで席に戻してこの考え方を説明するのに・・・10分。さらに黒板に立たせて・・・
そういうときには授業風景も、すべての生徒の顔も頭に思い浮かんでいた。
こちらでは二人の男の子が変顔でにらめっこして遊んでいる。ほらほらお前達・・・
あちらでは女の子が問題を解けずに困り顔でたたずんでいる。そう、そこは難しいんだ・・・
生徒によって解く速さも異なり、全員が違う問題を解くようになる。
解けなくなってもすぐに答えを教えても、それは教育にはならない。どのようなヒントを出すのか?
生徒が10人もいれば教室の中を走り回り、大変な作業になるが、予習で紙に問題を解きながら、
頭の中で生徒の顔を思い浮かべながら、何度も模擬授業を繰り返した私には苦ではなかった。
もちろん思い通りに行かないことはたくさんあった。そうか、この子はこういうところがわからなくなるんだ。
そのつどどれほど時間がかかっても、その修正へ向けた準備を繰り返すことができた。
そういう作業を惜しみなくやれることを、人は真心というのだろうか?たぶんそうなのだろう。
しかしやっている当人には、そういう意識もないし、真心だとわかってもいない。
ただその授業のために、わざわざお金まで払って来てくれる生徒のために、
せめてそれに報いよう、精一杯育てようと必死なだけだ。
その姿勢は30年経った今でも同じだ。気がつけばそういう教師は他にはほとんどいなかった。
だから私が生き残っているのだろう。
30年それを続けていると、私の方も学ぶことはたくさんある。
私が解けるのではなく、生徒の方が理解し、解けなくてはならない。
私の仕事が真心というのなら、それは私の方にだけあっていいものだろうか?
それは育ちゆく生徒の方にもないといけないのではないだろうか?
最近私はその視点から生徒を見つめるようになった。

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