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見える数学

小学生の算数は楽しいだけでいい。中学・高校の数学は、楽しくわかればそれだけでいい。
30年前の私は確かに、頭ではそう考えていた。
それを実行するために教材や教具、シェーマ(図)こ研究、授業内容の配置など、考え続けてきた。
もう、365日毎日、何年も何年も、生徒を見つめ、そればかりを考え、研究してきた。
その考えは確かに間違ってはいないと思う。けれど経験を積むと、さらにその上が見えてきた。
ただ楽しいだけでなく、それを考える面白さがある。はたして生徒は、面白さに気づいているだろうか?
さらにもう一歩登ると、数学だけでなく他の教科でも、日常生活や世の中のことも、見える範囲が広がった。
もちろんそれには時間がかかるし経験も必要だろうから、今すぐ高校生に私と同じものは見れない。
けれどやがてはそれらが見えてくるような「芽」を、私は生徒の中に入れられているのだろうか?
それは楽しいだけ、ただ少しわかるというだけでできることだろうか?
そういう疑問がこの10年ほどではっきりと、私の意識にのぼるようになってきた。
いや、今思えば、30年前の私にもそういう感覚はあったのだと思う。意識出来なかっただけだ。
そういう感覚はあったから、言葉は優しくとも、楽しさを装って演出しても、
授業内容そのものはけっこう厳しいものであったように思う。
今のカンナやチサ達中2が30期生だが、ウネとコウヤは3期生。
3期生達の方が私から、今より怒鳴られていたような気もする。
「見えてくる数学」が感覚としてはあっても意識出来ず、言葉にならず、
『変だなあ、これだけでは・・・何か足りない』そう感じていてイライラし、怒鳴っていたのかもしれない。
何百人もの卒業生の中には、金持ちにはなれなくとも、平凡ではあっても、
確実に生き、なくてはならぬ活躍を始めているものもいる。
そういう卒業生たちを見て来て、その中の一人の康太とは、親子だから毎日顔を見る。
大学へ入学してからの康太の成長が著しい。見ること聞くこと教わること、すべてが面白い。
今までの卒業生でも大学以降一気に伸びていく生徒は多かったのだが、
康太を見ていて「なるほど、こういうことか」と納得することが多い。
そして思えば・・・その子らは確かに高校までの数学で、自分でも気付かぬうちに、一つの壁を超えていたと思う。
その壁とは感覚的なことで、目に見えるものではないし、点数に出来るものでもない。
けれど確かにそこに「ある」。それが意識できるようになるともう、我慢できない。
なんとしても生徒達に、その壁を超えさせるんだ。そのために中学ではここまで来ていないといけない。
強烈にそう思うようになった。
それは、やはり点取りを見ていて叶うものではない。公式暗記なんぞで出来ることでもない。
方向性と、その一瞬の、内面の激しさだ。
昨日の中2生の何人かにもそれが見え始めた。高校生にはたくさん、そういう発芽が見られる。
もう残り少ない教師生活だろうが、その発芽を目指した教育だけで終えていいと思っている。

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