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学びの時期と強度 ③

子供は中学2年くらいから「抽象概念」の理解がはっきりと進むようになる。それまでは
「水道からは毎分3リットルの水が出て、水槽は6分で満水になる」
この問題には特に抽象もなく総量の問題だから、すぐに計算できる。しかし
「この水道だと6分で水槽は満水になる」 だと、とたんにわからなくなる。
『え?毎分どれくらい出るの?水槽って、満タンはどれくらい?』そっちが気になってしまう。
これは「毎分6分の1ずつ増えていく」という割合の問題だが、割合と言う抽象がよくわからない。
「そんなことはない。有名中学を受ける子はバリバリ解いてしまう」
稀には納得できる子もいるだろうけど、ほとんどの子は「パターン暗記」にすぎない。
子供って抽象がよくわからないものなのに、大量の問題で「解き方」だけを覚えさせる。
それで点数を取ると誰でも「勉強って、数学って、そういうもんだ」と思ってしまう。
数学ではない物を数学だと思い込むのだから数年後、数学から離れていってしまうのも仕方がない。
中学2年くらいから抽象も納得し始めるから、そこからは勉強の強度を少し上げてもいい。
中学を卒業するまではそれまで「暗記」していたものを抽象化し、整理させる時期だ。
そこではそういう姿勢を創り上げることに力を入れるだけでいい。
自分はどのように納得し、どのように整理するのか。そう言う躾に力を入れる。
知識の総量は、まだ少なくてもいいと思う。
「知らないことが、まだまだたくさんありそうだ」そう思わせればベストだ。
高校からは抽象の中で分析し、分類する力を、アメリカの高校生より多く進ませたい。
どうせ「島国の黄色いサル」だが、だからこそ大国よりも理解力は進めたいものだ。
大学でアメリカの学生は日本の高校生がやることもやって大変だが、そこで、
「あ?君達、まだそういうことをやってるのね。悪いけど、僕は先に行かせてもらうよ」
日本の大学生には、せめてそう言わせたいもんだ。
そこから先はもう「人間力」の勝負だから、どうなるかはわからないけれど、友達として認めてくれるだろう。
侍の時代から、日本の教育は優れていたと思う。
賢く優れた人もたくさん出たし、災害や貧困の中にあっても、これほど秩序を乱さない国は他にない。
昔の日本の塾は金もなく、狭い部屋にすしづめで、汗だくになりながら知を学んだ。
会津藩は「親孝行や勉強は、しなくてはなりませぬ。ならぬものはなりませぬ」と、毅然としていた。
教え方としては下手だったかもしれない。効率は悪かったであろう。
けれど人は、そういう「精神」から何かを学ぶものだ。
「アクティブ・ラーニング」などという「スローガン」を、学習指導要領に盛り込むらしい。
「積極的に学ばせる」と言うことだろうが、そんなことは「当り前」のことだ。
こちらが毅然とする以外に、いったい何をどうしろと言うのだろう?
これもまた「美名」だけを唱える現代の塾に、日本が飲み込まれてしまった結果だと思う。
日本の教育は乱れてしまったが、それは一過性の迷いで、きっと治ることを願い、
私はそういう教育を最後まで続けたい。

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