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学びの時期と強度 ①

「日本は小学・中学・高校でかなり勉強して、大学で遊ぶ奴が多いけど、
 アメリカみたいに高校まではのんびり勉強させて、高度な勉強が出来る大学で、
 思い切り勉強する方がええんとちゃうかな?」
康太がぽつりと言う。確かに康太は高校まで比較的のんびりと勉強し、
大学へ入るや見ること・聞くことがたまらなく面白く、無理はしていないが思い切り学んでいる。
大学院でも学びたいが、どこの院にしようか?留学するならどの国のどこの大学で、どういう勉強をしに行くのか?
来年の4回生では卒業研究しか取る授業はないから、たっぷりと情報を集め、教授と相談し、
夢を膨らませ、現実にしていく時間がある。そんな自分がアメリカの大学生と重なったのだろう。
「そうさなあ~、どっちとも言えないけど、日本みたいな資源もない小さな島国の子供が、
 アメリカの子供と同じことをするのも・・どうかなあ?」
人はより確かに生きるためにも学び続けねばならない。しかし子供には難しい理由はわからないから、
勉強することは当たり前のことで、そこには何の説明も、理由もいらない。理由は後から知ればいい。
ただし、康太も疑問に思っているのが、日本の過度な受験勉強だ。あれはおかしい。
本来学びとはひたすら賢くなろうとすることで、それは点数で測れるものではないし、
どこで役に立つのかもよくわからないものだ。それを塾が捻じ曲げてしまった。
「100点を、5を取る。有名校に合格する」 目に見えるそれらが賢さだとしてしまった。
寺子屋や塾は侍の時代から日本にはあったのだが、私の高校時代から出始めた塾は
はっきりとその性質が違う。
有名校に合格すること自体は賢さでも何でもないし、それはスタートであって、終点ではない。
しかし最近の塾はそれが「結果」であり、それこそが賢さだと強烈にアピールし、
いつの間にか人も公教育もそれに飲み込まれてしまい、今では学校も塾と同じことをしている。
もう、たいていの子がそうやって大学へも来るのだが、どうにもそいつらが賢く思えない。賢くもない。
そこに康太は疑問を持ったのだ。それは正しい視点だと思う。
この考察は長くなりそうだ。続きは来週考えることにしよう。

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