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水戸 ②

翌朝コウヤは駅前にある「弘道館」と言うところへ連れて行ってくれた。
「柔道の?」「違う、それは講道館」
弘道館は江戸時代に作られた、いわば総合大学だ。
水戸藩は徳川家康の子供らが全国へ散らばった分家の一つであり、有名な徳川光圀・黄門様は孫に当たる。
光圀から8代目、水戸藩9代藩主に就任したのが徳川斉昭(なりあき)。1830年のことだ。
その斉昭が1857年に作ったのが弘道館。藩士とその子弟らが15歳から学び、卒業と言うものがなかった。
文武一致のもと、剣術・槍・馬術や医療・歴史・天文学・数学などを学んだ。
中を見学すると200年近くにもなるというのに、建物は立派だった。たくさんの部屋がある。
レベルも相当に高かったのだろう、江戸からも学びに来る人が多かったという。
斉昭が弘道館と共に構想を練り、1842年に開園させたのが「偕楽園」。次にそこへ行った。
なぜ「快楽」ではなく「偕楽園」なのか?
そこが斉昭のすごいところで、その公園では身分に関係なく、誰もが遊ぶことが出来た。
士農工商の身分制度があった時代に、それに無関係に皆が楽しむ園、偕楽園だ。
私は感心してしまった。今でも権力者は自分の財産だけを気にし、住民などどうでもいいことなのに。
斉昭の精神を引き継ぎ、偕楽園は今でも入場料は無料。とにかく広い。
アメリカのセントラルパークに次いで、世界第2位の広さを誇る市民公園だ。
千波湖と言うバカでかい池の周りではジョギングする人がたくさんいる。ボートを出す人もいる。
周りの芝生でもたくさんの人が座り、弁当を広げたりしている。
山手にもたくさんの梅の木が植えられ、全部で3000本もある。3月は絶景だという。
その中には「好文亭」という、斉昭が客人をもてなしたビップルームがある。
木像三階建で、上からの景色はすばらしい。食事を上げる小さなエレベーターまであった。
最後に行ったのが徳川ミュージアム。斉昭から6代目の斉正(なりまさ)さんが館主。
そこには徳川家康から400年にわたる様々な品が展示されていた。
そう言えば助さん・角さんを引き連れた黄門さまの銅像はいたるところにあるが、
どれも「紋どころ」を持っていない。「この紋どころが目に入らぬかあ~」の、あれだ。
黄門さまはテレビで見る服装もし、実際の杖も残っている。しかし全国行脚はしていない。
でもまあ、テレビで宣伝してくれるから、それには目をつむろう。
しかし現存する黄門さまの末裔らが我慢できなかったのは「この紋どころが・・・」だ。
藩内を散歩して、誰かに「こら!」くらいはあったかもしれないが、紋どころを持ち歩くことはなかった。
「あんなにかっこいいもんではなかった」と、せめて水戸市では紋どころを持たせていない。
相当シャイな一族なのかもしれない。
いやいや実に楽しく、勉強になった旅だった。水戸は文化財にはすごく金を使う街だ。
その割に観光客がいまいちなのが悩みの種だという。
けれど、昔も今も住民が暮らしやすい街だと思えた。
ありがとうコウヤ。ありがとうウネ。いい旅をさせてもらった。冬に「アンコウ鍋」を食いに行くからな。

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