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「至らなさ」を知るために

「こういう数学をやることで、お前達は何を知るべきなのだろう?」今週は全学年に問いかけてみた。
康太は子供の頃からそうだったが、大学生になってもその様子をよく話してくれる。
「クラスの仲間がなあ・・・ちょっとした話でも捉えどころがいいし、みんな賢いわあ。
 あの教授、この教授・・近くノーベル賞かもしれん、すごいわあ・・・」
物理を教わる後輩達からすれば康太だってものすごいモンスターなのに、
賢い連中って自分が賢いなんて微塵も思っていない。
周りからどんどん吸収して、少しでも賢くなろうとする。自分の至らなさをよく知っているんだ。
対して私が大学1年の頃は本当にバカで、バカは自分のバカに気づいていない。
少しは勉強してましたねえ。けれどそれは「狭い自分だけの感覚」の中でのことで、
まったく的外れの方向性の悪さで、まったく至ってはいなかった。けれどバカだから、それがわからない。
グループで作るレポートなんて人任せで、自分ではまったくやらない。コピペでいいと思い込んでいた。
そんなバカさを思い知らされたのは「卒業できない」という現実だった。
大学4年・5年(!)と、もう人任せに出来ないし、仕方なく自分で勉強しましたよ。
簡単じゃあなかったですよ。ものすごく苦労しましたよ。
けれどそうすることでようやく少しずつ、「自分の至らなさ」が見え始めた。
すぐに全部が見えたわけではない。その方向性で社会人として働いたり、卓球や数学で生徒と関わる中で
少しずつ視野が広がって行った。もちろん今でもその作業の途中だ。
そういうことを少しだけ生徒に話したのだが、そんなことが中学・高校生に、すぐにわかるわけがない。
そういう方向性の話を中学・高校生に「すぐにわからせる」という人や塾を、私は全く信用しない。
人とふれあい、本も読み、何らかの作業を繰り返す中で身につけるものだ。時間はかかる。
中学や高校でやる勉強の中身なんてほんの基礎だ。
そんな程度で「100点だ、○○に合格だ!」なんて言っても何も始まらない。
数学をやることで学びの姿勢を模索し、形作ろうとすることに意味がある。
高校まででそれが完成することなどあり得ない。その基本をおぼろげにでも作るだけだ。
そんなことがすぐにわかるはずもない。
けれど時にはそういう話もしてやり、「ほれ、この問題考えてみろ!」と、作業をさせるだけだ。
そうすることで自分の至らなさを知り、人生の先で少しでも賢くなってくれればいい。

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