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父性

3回目の読書会は20人ほどの最多人数になった。小雨模様だったのに、ありがたいことだ。
河合さんの「今こそ父性の創造を」という話を読みながら、生徒達の様子を話し合った。
父性とは「決断し、実行する力」というイメージで、日本にはそもそもなかった力のようだ。
地震や雷と同じくらいに恐かったのに?恐かったけれど、強くはなかった。
家では威張っていても、外では上司のいいなり。物事を自分で決定することなどない。
全部女房という母性に支えられてのことで、日本は基本的に母系社会だったらしい。
なんだか・・・わかるねえ。男なんてマザコンだし、本当には弱虫なんだ。
かいがいしく旦那や子供の世話をし、家事をこなし、子の成長を願い読書会へも足を運ぶ。
確かに女房・母の方がある意味、男なんかよりもはるかに逞しい。
しかしその逞しさが現代日本の教育を捻じ曲げてしまったように私には思える。
「100点を、よい高校・大学を」と結果を望み過ぎることで塾や学校を動かし、
教育の「本質」を見えなくしてしまっている。
教育とは100点を取ることではなく、よい学校へ行くことでもない。そもそも「良い学校」など存在しない。
その学校を良くするも悪くするも、それは自分次第だ。
そのために「自分から働きかける力」をつけてやることが教育なのだが、
人は最初から「良い学校」がどこかに存在し、そこへ子供を入れようと焦り過ぎている。
「良い学校へ入れたのに、その学校は何もしてくれない」と激怒する人は多い。ものすごく。
そういう人たちは学校がただの「学びの場に過ぎない」ことがわからない。
何か「良いこと」を誰かから教わり、それを「覚えればいい」と思い込んでいる。それが「学び」だと。
違う・・・それは父ちゃん達が従っていた「母性」と同じことと言える。
学びとは働きかけ、発見し、決定するという父性の力を求める場だ。
母性とは平和であり、安定する力でもあり、それは不可欠のものだが、それだけでは発展がない。
極めて大ざっぱに言えば、中学までは「母性教育」であり、高校・大学では「父性教育」になる。
それは明らかに性質が異なるものだが、今それを言う人は誰もいない。

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