FC2ブログ

本当を見る

世の中が便利になり、何事もが「商品」と飾り立てられるほどに、「本当」が見にくくなってきた。
学生の頃に喫茶店で商社マンらしき男が「缶コーヒー」の話をするのを聞いた。
「ベースはこの溶液ね。・・・で?色は何でつけるの?あ、~酸でつけるのか。
 匂いは・・これでつけて・・・味はどれで?」
全部「化学薬品」の話ばかりで、「コーヒー豆」の話なんか1つもなかった。
それでも「最高級コーヒー豆を使った、プレミアムコーヒー」なんて書かれたら我々にはわからない。
「小・中学生に4を、5を取らせて自信をつけさせ、育てる」
30年ほど前はチラシにそう書く塾は少なくなかった。しかしやっていることは内申操作だけ。
中間・期末テスト前にその中学の過去のテスト問題を何年分もやらせるだけ。
同じか似た問題ばかりなので90点以上取るのは簡単なことだったようだ。
今の塾も表現こそ違うが、やっていることは同じだ。丸暗記させて、吐き出させるだけ。
それは教育とは言えないが、それを推し進めたのは塾ではなく、我々市民の方だ。
1つ1つの知識を積み上げるのは難しい・・・というより、面倒なのだろう。
誰かに「これを覚えればOK」と言われて、それを真面目に覚えるだけでいい。
今の生徒も決して不真面目ではない。ものすごく真面目に暗記作業をする。
そしていつの間にかそうすることが勉強することなのだと、親も子も塾も、学校すらも思い始めた。
しかしそれが通用するのはせいぜい高校入試までで、大学入試や社会に出てからは
ほとんど通用しなくなっていることは誰も言わないし、ほとんど誰も知らない。
塾もそのことは何も言わない。けれど塾は知ってはいるんですよ。
高校生を教える塾ってほとんどないでしょ?かつては塾もやろうとしたんですよ。
しかしそれが小・中学生と同じ「暗記方式」にしたため、結果が出せなかった。それで撤退していった。
教科を学ぶ意味とは、その教科の内容を知り、詩やろ広げさせることにある。
「それを数学的に表現すると?では、国語的にみるとどう変わる?」
まともな国立大入試で問われるのはそういうことだ。公式や単語を覚えただけでは通用しない。
そういう意味ではまだ「まともな教育」は生き残っている。しかしそれは一般には見えにくい。
たいていの大人は「自分には暗記量が足りなかった。子供にもっと覚えさせれば変わるかも」
そう思っている。・・・何も変わらない。何の解決にもならない。
「教科の本当とはどういうことだっけ?」それを皆が見つめれば日本の教育は変えられる。
けれどそれは「革命的なこと」で、なかなか起こるものではない。
やれやれ、「見えにくい世の中」にも、困ったものだ。

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

河原

Author:河原
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR