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指導の濃淡

指導するときには、そりゃあすべての生徒が納得できるまで、ゆっくりやった方がいいのだろう。
決して「出来ないこと」を叱ってはならず、あくまで優しく、じっと待った方がいいことは知っている。
けれど「それだけ」でいいのだろうか?本当にその方が生徒は育ち、よくなるのだろうか?
何十年も生徒に関わるうちに、どうも・・・そうでもないことがわかって来た。
そもそも数学において、1つのテーマを「完全に理解して」先に進むことなどあり得ない。
「え?数学なんて全部わかってないと、その次のことはわからなくなるのでは?」
昔からそう思われているが、そうではない。そこは、今のところは「わかったような気にさせて」おいて、
本当にはもっと先に進んでから納得できるということが、数学にはいっぱいある。
時期と生徒の態度にもよる。
小学生に「おどれえ~!ボケエ~!」と、右ストレートや蹴りを入れても仕方がない。
中学生が懸命にやってもわからなければ、それを叱ることはない。
しかしさぼっていたり、話も聞かなければ「出て行け!」くらいに怒鳴ってやった方がいい。
ただしそれは生徒と教師の間に信頼関係が出来ているという条件付きだ。
信頼関係がなければ叱る気にもなれないし、叱れないし、笑って見ているしかない。
今の塾や公教育はまったくそうなってしまっているが、それで生徒を教育することはできない。
笑って見ているだけで、ひたすら解説だけをするって、「無責任にやれ」ということでしょ?
生徒が聞いていようが、いまいが、解説がうまければ生徒は理解する?
そんな解説なんて出来ないし、ないですよ。教育とは生徒と教師のぶつかり合いだ。
「ぶつかって叱れるほど、教師は自信があるのか?」
ありませんな。自信なんてまったくない。自信を持って「自信はない」とはっきり言える。
教師はミスをしないなんて、ただの妄想ですよ。そんな教師はいない。
それでも教師は生徒よりも経験はあるから、それをぶつけないと「化学反応」が起こらない。
「心の反応」がなければ、生徒や教師・・・人って、変われないものじゃないですか?
ぶつかることで生徒が傷つくからいけない?教師は倍ほど傷ついてますよ。
「誰も、少しも傷つけるな」というのも正しい。正しいけれど、それでは教育は出来ない。
高2のタツキは高校入学後に自信をなくしていた。「文字式」の意味がわからなくなってしまった。
それなりにやる気はある。それなりにやってもいる。しかしそれでも私は叱った。
「足りないんだ。高校生が、それが出来ないのでは話にならない。もっとやれ」
「理解する気があるのか?その気があれば、それくらいは誰にでもわかるぞ!」
「ここが踏ん張りどころだ」「それも出来ないんじゃ、やめちまえ!数学のない世界に住め!」
散々怒鳴り続け、しばき倒し、いじめ続けて1年、あまり変化はなかった。
『こいつは・・・本当に出来ないのかもしれない・・・』
それならそれで、この子の将来の方向性を考えなくてはいけない。数学がなくても生きていけるように・・・
あきらめかけた最近になって、突然タツキの手が動き始めた。グイグイと計算する。
分数もあやしくなっていたのに、かなりの理解度で解答を展開するようになった。
まぐれではない。明らかに本物だ。そういうことはいつだって突然に、何の前触れもなく起こる。
だから教師にはその原因など、よくはわからない。
明後日は読書会初日。河合さんの本を読み進めながら、そういう「変化」について、皆さんとともに考えたい。
だって・・・私にも、よくわからないのだから。

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