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卓球との関わり ⑤ 東京での結果

どのようにすればフォアはしっかりと振れるのだろう?
脇の広げ具合、肘の角度、バックスイングのラケットの位置、フォロースルーはどこまでか?
あらゆる技術に科学的に取り組まざるを得なかった。
普通にやれば、私にも選手にもうまくは出来ないのだから。
少ない練習時間では一度には1つのテーマしか出来なかった。
しかし部員達は次第に卓球の魅力に取りつかれてゆき、学校に交渉して毎日練習できるようになった。
夏休みにはバトミントン部と一緒に長野まで合宿に行くという贅沢も出来た。
バトミントン部はその高校の典型であった。
「汗疹」が出来るから練習ではあまり汗をかかないようにする。
食事のご飯を「おかわり」するような「はしたないこと」は決してしない。なるほど、勝てないはずだ。
卓球部はギリギリの練習なので大汗をかき、バトミントン部の冷ややかな目線も気にすることなく、
ご飯は3杯食べた。高校生が、激しい練習の後、それくらい食べるのは普通だ。
「お前達は考えることで勝とうとしなければならない。勉強も少しずつ、きちんとやれ」
今思えば下手な指導だったが「想い」はしっかりと受け止めてくれた。
2年後のインターハイ予選では団体戦は東京都ベスト16、シングルスはエースがベスト32。
「1度も勝てない」お譲ちゃん学校では初めてのことであり、しかも選手達はその後、
筑波大学や慶応大学などに進学したことで、私はシスターの校長に呼び出された。
「うちは学力がそれほど高い高校でもなく、運動に頑張り過ぎれば勉強が出来ないと思っていました。
 ところが卓球部は見たこともない結果を残し、とんでもない大学に進学しました。
 いったいどんな“魔法”をかけたのですか?」
「魔法ではありません、単にバランスです。我々3流選手は運動の目的が違います。
 チャンピオンにあこがれはしますが、負けたくもないのですが、あくまで健康スポーツです。
 いつまでもそのスポーツが楽しめるよう、いつまでもそこから何かを学べるように、
 そのためにはかなりハードに練習して基礎を作らねばなりませんが、若くて体力はあるのだから、
 勉強の妨げにはさせませんでした。バランスを取らせるようにしました」
さほどのことが出来たわけではない。しかし「求め続ける姿勢、指導」を理解してくれたのか、
もう50歳を越えた当時の選手達と、いまだに年賀状のやり取りはしている。
私は大学を卒業し、建設会社に就職し、福井県小浜市に赴任させられた。

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