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バベルの塔 ④ 形

テーマの構造解説や説明の後、うちではほとんどの練習問題を生徒は黒板でやる。
この方法は私の発案ではないが、生徒の理解度がすぐにわかるので28年間この形を取っている。
最大のメリットはそれだ。ノートにやらせてもよくわからないが、黒板にでっかく書かせるとすぐにわかる。
あ?この子は勘違いしてる。これは・・私の説明不足のようだ。
この子はこんなところで躓いてたんだ。肩の力が弱い、この子は不安なんだ。
こいつ、てんで勉強してないな・・・すべてがすぐにわかるからすぐに対処できる。
普通はずいぶん後のテストで、その点数だけを見て理解の度合いを測るが、それだとその「原因」はわかりにくい。
どこが原因で、何が不足しているのかがわかりにくいはずだ。
その点黒板だとレアにわかるから「どアホウ」と、すぐに小突ける。
子供は基本的に落書きが大好きだし、立ったり座ったりと身体を動かすから眠くもなりにくい。
デメリットとしては、解いた問題の記録が残らないということがある。すぐに消してしまうから。
「もう一度ノートの解答を見る」ということが出来ないのだが、その分「記憶」に残るだろう。
切実なのは「教師が大変」ということだ。すべての黒板を走り回って見なくてはならないし、
それぞれに少しずつ違う解答を瞬時に判断し、評価をしてやらなくてはならない。
「非常によろしい」とか「アホ!ここが抜けとるわ、やり直し」とか。
ただ、このやり方だと大量の生徒を相手にすることが出来ない。20人が限界で、よそでは無理だろう。
この形態がベストだとは思っていないが、生徒をよりよく見つめられるから、この形を変えていない。
教育とはその本質の形など、そう簡単には変わるものではない。
しかしこの20年を見ても、公教育も塾もその形を様々に変えて来た。
本質はそうは変えられないから、表面的なことを変えるのだ。
「携帯画像に英単語を映し、遊び感覚で覚えよう」は、本当にただの遊びで終わった。
「自分の番号を入力してボタンを押せば、君の名前が書かれた問題プリントが出てくる」
で?他の人の名前で出てくるプリントと、何か問題が違うの?・・・同じじゃん。
それが今では「ビデオ解説」に形を変えたが、これは塾側の「もうけ主義」だ。
20年前の講義ビデオでも使える。「名講義なんだから」と。
そのビデオを見た後は「時給800円」で雇われた学生が問題を持ってきて、
「説明はビデオで見たでしょ?やりなさい」と言うだけ。
それのどこに「生徒の反応を見て修正する」があるのだろう?
「経費を極力抑え、見た目だけを良くした商品を並べる」コンビニと同じではないか。
コンビニと教育を同じ棚に並べてしまった今の塾は、バベルの塔にもなれない、ただの廃墟だ。
「中学ショック、高校ショックがあるから、小・中、中・高一貫教育を」
いったいどの子が言ってるの?新たな局面に刺激を受けるのは当然だし、
その刺激に期待感を膨らませる子もたくさんいるのに、その期待感を奪うんだ。
「各学校で、それぞれの特色を」 これには現場の教師がまいっただろう。
「京都の特色」ならまだわかるが、学校単位の特色と言われても、何をすればいいのだ。
表面的なことを変えてもすぐに飽きられるから、すぐにまた何か新しいものを・・・
学校もまたコンビニと同じになりつつある。商売に目が行き、教育そのものから目が離れている。
「場所がどこであれ、形がどうあれ、お前達は勉強をしなくてはならない。それには理由もない」
各個人がバラバラにされ、それぞれが勝手なことをする時代にはなったが、
教育だけはバラバラにされてはいけない。
教師も、教育そのものも自信をなくしている。
確かに教育の本質など、バベルの塔を作ろうとすることなのかもしれない。
やがては神の怒りにも触れるのかもしれない。けれどそれは人間の本質だ。教育の本質だ。
日本の教育はあまりに見失ってしまった本質を、もう少し取り戻さねばならない。

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