FC2ブログ

バベルの塔 ③ わからなさ

まったく知られてもいないがうちの教室では新しいテーマに取り組む時、
学校でも、よその塾でもあり得ないほど、その根本的な成り立ち・構造を説明する。
忘れていそうな理論やテクニックがあれば、それも思い出させておく。
そしてすぐに黒板に立たせて問題処理をやらせる。すぐに確認できるのがいいところだ。
最初の問題などその前の例題と同じもので、数字だけが変わったものに等しい。
しかし・・・黒板に立ちつくすだけで、まったく動けない生徒は意外に多い。
『いったい何を考えているのだろう?同じ問題なのに、どこの、何がわからないのだろう?』
「すべて説明したから、質問には来ない」というのは、明らかに嘘で、認識不足だ。
そういう生徒の大半は、何がわからないのかもわかっていない。質問など出来るはずもない。
コンパスで正三角形を作図するのに、“上”には出来ても“下”には作図出来ない。
「時速4キロで3時間進む距離」は計算できても「時速aキロで3時間」だとわからない。
高校生になっても「分数計算」が出来ない子は、昔から結構いる。
「わからないところから復習させる」と、高校生に通分や中1の文字式をやらせた塾もあった。
いや、現在の「底辺校」では高1で中1の文字式をやらざるを得ないところもざらにある。
一見親切で、たぶん正しくもあるのだが、私の経験では少なくとも「得策」とは言えない。
そうなってしまった原因は何なのだろうか?分数が認識できないのだろうか?
ごく稀に「何らかの障害」を持つ子もいるが、ほとんどは「やる気のなさ」が原因だ。
それもまた、なぜそんなにやる気を持てないのだろう?
自分が保護されているのも知らず、学校や教師をバカにして調子に乗っているだけかもしれない。
そういう奴は思い切り叱り、ぶん殴ってやった方がいい。
家族全員が本能のまま生活してきて、幼い頃から「考えてみる」という習慣がないのかもしれない。
それだと一教師だけではどうすることも出来ないかもしれない。
単にその時期の勉強不足なだけかもしれない。30年もやっていると、多くのことを見て来た。
「じゃあ、小5の分数からプリントをやりましょう」などとやっても、何も解決しないことが多い。
さらに高度な理論の中で「それくらいはできないと、話にならない」と、認識させないとダメだ。
頂点は果てしなく高い方がいい。レベルを落としてもダメなことは「ゆとり教育」でも証明された。
「これは・・・自分がわかろうとしないと、どうしようもない・・・」
そう認識させることが出来れば、ほとんどの問題は解決する。
認識の過程が異常なほど遅い子もいる。それは「個性」であり、容認する。
「同じように教えれば、同じように理解する」なんて言うのは幻想であり、錯覚だ。
「個性を尊重しよう」というくせに「理解速度という個性」はまったく尊重しない人は多い。
「何やってんだ、お前は!」叱り続けながらも、理解が広がるまでじっと待つ。
じっと待つばかりで、3年ではついに理解に至らなかったということもある。それが教育だ。
この期間では到達しなかったが、そこで取り組んだことは、どこかでその子を助けるかもしれない。
教育とはそういうものだ。コンビニ商品のように「すべて同じ」とはいかない。
「お?少しよくなった」と喜び、「今日は全然ダメだ」とガックリする。教育とは、そういうことだ。
そういうことは生徒や教師、親、誰にとっても辛い。辛いとそれを避けようとする。
塾ではとっくに「宣伝要員とお客様」に分けているし、公教育も「二極化」が進んでいる。
要は「面倒はやめて、出来る奴だけ教育しようぜ」ということだ。
あからさまには誰も言わないけれど、要はそういうことだ。
しかしそれはすでに「教育」ではなくなっていることに、誰も気づかないのだろうか?

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

Re: タイトルなし

ありがとうございます。理解をいただくのは何よりありがたいです。
お母さんの一徹さが娘達にはよい方向性になっていますよ。指導しやすいです。
ユウカももう少しで「数学の感覚」がわかるでしょう。
そうすると一気に前進しますね。私も楽しみです。
プロフィール

河原

Author:河原
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR