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才能

我々はよくこの言葉を使うが、実際に「才能」に出会うことなどほとんどないし、その意味もわからない。
イチローはどう見たって野球の才能があったとしか思えないけど、それがどういう才能かはわからないし、
イチロー本人は自分に才能があるとは微塵も思っていないと、よく語っている。
我々はよく知りもしないくせに、「とるに足りないもの」を才能と言っているだけだ。
小・中学校で少し勉強が出来ると「この子には才能がある、天才かもしれない」と親は思う。
塾や教師も煽り立てるが、勘違いですよ。私もよく言っている。
中学のテストで0点と100点と言っても、42キロのマラソンで言えば10㎝ほどの差でしかない。
それを差と言うのだろうか?才能と言うのだろうか?
「10歳で天才、20歳を過ぎればただの人」と言うのを誰でも、掃いて捨てるほど見て来たではないか。
才能ってなんだろう?「継続できること」は確かに才能と言っていい。
内田さんによれば「あきらめること」も才能だという。
イチローはすべての時間を野球に費やすことで、他のことをすることをあきらめなくてはならなかった。
いろんなこともしてみたかっただろうが、それをあきらめて、野球を「継続」したのだ。
それはかなりの勇気を擁する。プロ野球の選手なんて皆が天才と呼ばれた人ばかりだ。
田舎へ帰れば「10年に一人の才能」なんて言われたのに、1軍にも上がれず、
そのまま消えていく選手の方が圧倒的に多い。そういうことも知った上で継続しなくてはならない。
小さな子供が「サッカー選手になりたい、建築家になりたい」と言うのは微笑ましいが、
20歳を過ぎて定職にもつかず、家でごろごろする人間が同じことを言えばむかついてしまう。
あきらめる決断もつかなければ、かなり悲惨なことも多いではないか。
「夢をあきらめないで」と歌にも歌われ、耳触りのいい言葉だが、
我々凡人は多くのことをあきらめて生きて来た。
株や土地の値段は上がるもの、世の中はどんどん便利になるもの・・・
そういうことをあきらめられないから、今の日本だけでなく、アメリカも中国も、世界中がおかしくなっている。
あきらめることの「才能」も、もう少し生徒に言っても、いいのだろう。

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