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変化はゆっくり

「政治や教育なんて、ちょっと形を変えたくらいでは、何もいいことは起こらない」
河合さんや内田さんがよく言うことだが、私もまったく同感。
高校を単位制にしたり、中・高一貫、小中一貫なんかもして来たけれど、なんか変化あった?
「中学や高校へ上がるときの苦痛を和らげるため」とか言ってたけど、どの子が言うの?
探せばいるのだろうけど、私は知らないね。中学へ上がるのをワクワクする子はたくさん知ってるけど。
「いじめや不登校をなくす」は正しいことだけど、そういう子にべったり張りつくことで、
圧倒的多数の普通の子の教育は放ったらかしになり、どうしようもなくなって、
「いじめは報告しない」「家庭学習を認める」となるわけでしょ。
学校へ来なくてもいいとするのだから、不登校はゼロになるわね。
学力テストの結果を公表するとなったら、成績の悪い子にはテストを受けさせないし。
まあね、どこでもやってることだけどね。
薬剤師の国家試験でも落ちた子は「受けなかった」ことにすれば、合格率100%だ。
教育や生徒を「コンビニの商品」と同じに出来ると思うからそういうことばかりする。
商品なら確かに生産効率を良くしたり、流通経路を良くすれば安くなるし、
見た目をきれいにすることもできるのだろう。けれど教育はそうは出来ないのですよ。
なぜ、出来の悪い奴も、イジメも、進学の苦痛も・・・認めないのかな?
そういうものを全部含んで、そこで営まれるのが教育ですよ。
どっかのパンフレットにあるように、美人の先生がにっこり笑っており、周りの生徒も笑っている。
商品として棚に飾るのにはいいんだろうけど、それは教育ではないですからね。
「苦痛を全部なくす」も正しいことだけど、教育的には正しいのかな?
学びって、失敗や苦痛の中で学び取ることの方が多いですよ。
苦痛をすべてなくすことが出来たとしても、学ぶことは半分以下になる。それは正しい?
そもそも苦痛などなくせないけどね。一つなくせば、また一つ別の苦痛が出てくる。
今の政治や教育って、痛い痛いと叫び続けているだけじゃない。
痛みも認めてしまうもの・・・教育とはそういうものだ。
なかなか伸びない子を見つめ続けるって、教師としては辛いですよ。
「だから何とかしよう」も正しいのだけど、ひたすら見守ることが「正解」のことが多いんだよね。
「なんやお前、頭悪いなあ・・・困ったもんやなあ・・・」
なんて困り続けていると、ふと、よくなることもある。教育ってそういうもんですよ。
だって世界中で、何千年もの間、教育には「困った、困った」と言い続けてきたわけですよ。
それがコンビニ商品みたいに突然、美しいものになるなんてあり得ない。
まあ、世の中がこれだけ変化すると、教育もやがては変化してゆくのだろうけど、
それでも「百年単位」での変化ですよ。
我が子が勉強しないで嘆くお母さんも多いけれど、なるべくじっと見守り続けてくださいな。
それが教育の本当の姿だから。

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ひたすら見守ること

私の場合、彬や梓は見守るしかない状況で何年も過ごしてきました。が、確かに正解かもしれません。中学校も高校もほぼスっ飛ばし状態で短大に入ってしまった梓は、今、自分で学んでいます。スケジューリングをして、休まず講義に出席して、提出物を出して・・・。当たり前のことを当たり前にしている姿を見るのが、親としてしみじみ幸せです。河原先生にもご心労をおかけし、感謝しています。あとは大きく躓くことがあったら手を差し伸べられるよう、見守り続けようと感じています。

Re: ひたすら見守ること

確かにアズサの場合、中・高校時代は見守るしか手がなかった。数学や語学からは「学びの意味」をなかなかつかみ取ることが出来なかった。時間はかかっても「社会体験」の中でそれを知るしかなかったのでしょう。
「逃げてばかりの楽をしていた」ことにようやく気がついた。気がつけば、それでいいんです。
大学で初めて「学問する」と言うことは思う以上に大変ですが、もう、大丈夫でしょう。
まだ二十歳。何の問題もありません。
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河原

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