巣立ちには寂しさも

30年ほど前から一緒に卓球をしていた古い友人から電話があった。
声を聴くだけでも3年ぶりで、名前を言われても誰だかわからなかったほどだ。
出会った頃の彼はまだ20代で、私が30才だったっけ。
もう一人のミヤと「独身三羽烏」だったのだが、同じような時期に結婚し、
同じような時期に子供ができた。全く同じに兄と妹の二人だ。
彼は今大学非常勤の講師もしていて、先日母校の高知大に行ってきたという。
講義を終えて自分がいた研究室へ行くと、一人の学生が話しかけてきた。
「京都におられたんですか?僕も京都なんです。 シュタイナー教室という塾に行ってました」
「河原さんとこか?」 「え?ご存知ですか?」
「ご存知も何も、昔からの友達やで」
なんという偶然だろう。確かに高知大3回生に、一人だけ卒業生がいる。
その卒業生がよりによって彼が過ごした研究室にいたのだ。
それで彼は私を思い出し、報告の電話をくれたのだ。
授業中の電話だったが、昔からうちでは卒業生が遊びにきたり、
このような懐かしい電話があると、ためらわず授業は中断される。
そう言えば彼の息子は大学4回生のはずだ。妹は卓球留学で埼玉にいる。
彼は会社を変わって、今は静岡にいる。
「長男もアパート暮らしで家には女房一人。家族4人が別々ですわ」
私のような自営業は動かないが、サラリーマンは単身赴任が宿命。
私も女房とは一緒にいるが、康太も真子も家にはいない。
ミヤも東京へ単身赴任で、長男は神戸、家に女房と娘だけがいる。
なんだかねえ・・・良くも悪くも、これが歳を取って子供が巣立つということか。
自分が若い頃には思いもしなかったが、一抹の寂しさは親の想いか。
せめてたまには古い仲間で集まって酒でも飲みたいが、
それは彼らが退職する数年後か。
しかし、寂しさはあっても、子供の今後の楽しみも大きい。
それを見守りながら、仲間の酒盛りも楽しみに待っていよう。

受験は常にギリギリ

進路は身の丈に合わせて決めればいいのだが、具体的には模試データで決める。
合格率30%の憧れ校、70%の順当校、100%の滑り止め校。
まあ、そのあたりが妥当だが、まだ若い生徒には判断がつきにくい。
自分に伸びしろがあるかどうかは、自分では判断がつかないからだ。
安易に「浪人すれば・・・」は極力避けたい。浪人して伸びるのは30%しかいない。
あとの70パーセントは現状維持か、成績は下がっていく。
甘くはないんだよね、翌年には賢い現役生もいくらでも出てくるし。
そのあたりは毎週見ている私が一番わかるから、きちんと説明はする。
しかし順当校の合格率が90%以上になってしまうと、さすがに迷いが出る。
それはもう滑り止め校になってしまうからだ。
それで志望校を一つ上げると・・・合格率50%・・・な、悩ましい・・・
京大と阪大以外は前期・後期と2度受けられるから、その選択肢が難しい。
前期では90%以上の合格率でも、後期にすると、
受けに来るのは前期で京大・阪大を受けたやつばかりになる。
もう合格確率は極端に下がり、最悪は全滅・・・浪人・・・・
だから後期はさらにランクが下がるところにするが、そこへ行く?
さらにさらに、2次教科だけなら十分合格しても、センターの国語・社会が・・・
最終的にはセンターが終わってから決めることになるが、
今年もまた、十分に悩ませてくれそうだ。

温泉

暖かいうちはシャワーばかりだったけど、こう寒くなると湯船に浸かりたい。
今日のお昼は青谷梅林近くの「一休」という温泉へ行く。
うちの奥さん「おまけ」にまるで抵抗力がなく、会員になったり、
無料券付きの10枚つづりのチケットを買ったりしている。
今回は送ってきたという平日限定の一人無料券があるらしい。
今日は数Ⅲの授業だけだし、寒いし、お昼にどっぷりと浸かってこよう。
どうせうちの奥さんすぐにのぼせるから、1時間が限界だしね。
その前のお昼は温泉近くにある「やまびこ」といううどん屋で、
安くておいしい手打ちうどんだ。牛スジカレーうどんがいいなあ。
久しぶりに温まってきます。

紅葉狩り

いい時期になってきたなあ、今年はどこの紅葉を見に行こうか?
ここしばらく京都市内ばかりだったので、久しぶりに嵐山へ行こう。
真子はバイトだが、康太は阪急桂駅からすぐだ。
私と女房はJRで出かけて、嵯峨野線に乗り換える。
よく晴れているのだが、ところどころ真っ白にけぶって雨のようだ。
そのせいか見事な虹が出て、乗客全員写メを取る。
嵯峨嵐山の駅から宝筐院というお寺に向かう間も雨に会い、
ほんの10分ほどだが雨宿りをしなくてはならなかった。
寺の中には湯豆腐専門の店があり、混んではいたがすぐに入れて康太を待つ。
この時期はどこの店も予約ができない。ものすごい人の数だから。
「テイクアウトのカツサンドを買って、渡月橋で食べようか?」
というプランもあったが、康太は湯豆腐の方が、そりゃあいいだろう。
康太も到着して、皆で湯豆腐をいただく。この辺りは「モリカの豆腐」だ。
日本酒ももらって、いやあ~おいしいねえ。
野菜料理やてんぷらもあって、素材の味を堪能させてくれる。
大阪だとソースとマヨネーズで、ランチは550円。
「所詮は豆腐やんけ、ニンジンとサツマイモの天ぷらで3500円け?!」
そう言われるだろうなあ。
私も若い頃は大阪派だったけど、今では「京都の味」と納得できる。
心が安らぐ料理なんだよね。食事の後の紅葉は心に染み込んでくる。
二尊院へも行ったが紅葉は5~7分の「走りの見ごろ」。
真っ赤で見事な紅葉の中に、まだ緑の葉も残って、これはこれでとてもきれい。
康太はあちこちの仏像も見に行っていて、「時代によって顔の特徴がある」
それがわかってくるとさらに面白いらしい。
ゆっくり見させてもらってぶらぶら歩き、落柿舎あたりの御髪神社へ。
髪は伸びたが量がまだ少ない真子のために参拝する。
そのあたりから渡月橋までは人の波で、歩行者天国になっているのに歩きにくい。
ところどころに着物を着た女性も歩いているが、話しているのはアジア語。
レンタルで貸してくれる店があるんだろうね。
中国語はニュアンスでわかるが、それ以外だとさっぱりわからない。
なんだか半分くらいは東南アジアからの旅行客のようだ。
「すみません道を開けてください」と、人力車もたくさん通る。風情があっていい。
夕方に康太は母とともに阪急に乗り、康太は桂で、女房は大阪の真子に届け物。
私はJRで帰って、晩飯は一人で食べなくてはならない。
「京都の味」を食べた後には大阪派に戻って、牛丼の晩飯だった。

発展・応用問題

小・中・高校生をずっと見てきて、つくづく数学ってのは「見方」だね。
基本問題では図形の右の方で操作してたのに、
応用問題では「左でも操作してみろ」と言われるだけだ。
やってることは同じなんだけど、なぜそうしたのかがわかっていないとできない。
「だから応用まで全部暗記させる」が塾のやり方だが、
それはすでに「数学の本質」から外れてしまう。
中2図形の最後は四角形を面積を変えずに三角形にする「等積変形」。
これの要は、三角形の底辺と平行な線上を、残る頂点をいくら動かしても、
底辺と高さは一緒なんだから面積は変わらないことを利用するだけだ。
四角形を対角線で二つの三角形にして、
「じゃ、こっちの三角形の“でっぱり”を取ってみようか」と、それが基本問題。
ところがこれ、右でも左でも、どちらでも同じことができる。
もう一つの三角形の方でも同じことができる。
そう言った幅の広い見方というのが、タツキ・コウスケ・カホは大の苦手で、
1年前まではまるで考えられなかった。数学的な思考が苦手だったんだな。
様々な単元で「とらえ方」だけをしつこく繰り返し、少しずつ鍛えた。
「2ヶ月ほど暗記しておけ」は何とかできても、根本的な理解は難しい。
それが3人とも中2の図形あたりから顔つきが変わってきた。
目の焦点がしっかりしてきて、「わかる」とはどういうことかをつかんできた。
応用問題で五角形を同じ面積の三角形にすることも平気だったし、
早くできたので予備の応用問題、座標上でそれをやらせてみた。
これは難しい。だいたい、直線の方程式なんて忘れているだろうし・・・
できないと思っていたらどの子も「傾きは・・・式は・・・」と考え始めた。
明らかに暗記ではない、直線の方程式の構造を探っている。
どの子も解き切ってしまった。びっくりした。タケルが一番遅いくらいだ。
「3バカだ」と思っていたが、これからは見方を変えなくてはならない。
願ってはいてもなかなかこうはいかないから、よけいにうれしい。
これからは数学の「本道」をどんどん進んでいけるだろう。
どの子もそうしたい。それが私の願う数学教育だ。

座敷童子(ざしきわらし)

座敷童子は家に住み着いていて、いたずらもするが、家を守っていてくれる。
大人にはその姿は見えないが、子供には時々見えるらしい。
姿は丸見えだが、この教室にも昔から座敷童子は住み着いている。
高3は毎年だが、今年もコウスケ・ソウタ・タクミらは夜遅くまで住み着いている。
中3ではミクが土・日も関係なく、毎日教室を守っているし、
最近ではサキも夕方に制服のままやってきて、夕飯時には家に帰るが、
再びやってきて勉強しながら座敷童子している。
自分の家より集中できるということもあるだろうが、OMソーラーのおかげで
教室が温かくて居心地がいいというのが大きいと思う。
足元からほんのり温かいし、喚起のおかげで爽やかだ。
皆毎日いるから消しゴムカスや紙切れを散らかしたりのいたずらもするが、
夜もいるので泥棒は入りにくく、教室を守ってくれている。
そう言う意味でもありがたい座敷童子だ。

楽しい授業

中3は最後の単元「三平方の定理」に入った。面白いところだ。
私の世代では「ピタゴラスの定理」として教わったのだが、いつの間にか変わった。
ピタゴラスは2500年ほど前のトルコあたりで生まれ、数学者で哲学者。
その数学集団は「ピタゴラス学派」として知られているが、極端な秘密主義で、
公式の一つでもばらそうものなら即死刑なので、何もわからない。
学派解散後に、弟子たちから「ピタゴラスはこういう人だった」なんて聞いただけらしい。
だから三平方の定理も弟子が発見したのでは?ということでこの名になった。
「直角三角形の直角を挟む2辺の平方の和は、斜辺の平方に等しい」
これの見方を変えると、直角三角形の辺の上に正方形を作る。
大・中・小3つの正方形ができるが、中と小の正方形が
大の正方形の中にピタリとおさまるということだ。これを工作用紙で作成させる。
1辺10センチの正方形の辺の上に、半径5センチの半円を描かせる。
円周角はやったので、円周のどこでも正確な直角三角形はできる。
辺を延長してコンパスで長さを移せば、中・小の正方形もすぐできる。
それを切り取らせて、さらに中の正方形を4つのパーツに分けて、
「さあ、大の正方形の中に納まれば三平方の定理の証明になる。
 やってみてできなければ“自分には成立しない”と言い張ってよい。
 まあ、ヒトシやマホには成立しないだろうが、やってみな」
子供はこういうものが大好きだ。作図も楽しいし、コンパスで正方形を作るのも楽しいし、
最後はパズルだ。たいてい毎年一人くらいはなかなか成立しないものだが、
今年は鈍臭いはずのショウダイやコウセイまで、あっという間に納めてしまった。
黒板で計算練習。「お前、中に大と小は納まらないだろ?」
最初はよく間違うものだが、工作のおかげですぐに修正できる。
皆が非常に良く納得できた。あっという間の2時間。
毎回こういう授業ができればいいんだけどね。
その工作は記念に持って帰らせた。家で「ほら、これを三平方の定理って言うねん」
なんて家族に披露でもしてくれれば、とてもうれしい。

論証力

最近の大学生は書けなくなっているとはいえ、やはり大学では論文がメインだ。
私も大学1年から毎週レポートを書かされたが、バカな私はその時には、
それがすでに「考察」であり、論文の基礎であることがわかってなかった。
単に実験結果をまとめたり、強度計算の公式を使って計算するだけだった。
当然そんなレポートなど「優」も「良」もなく、せいぜい「可」がやっとで、
「不可・再提出」もよくくらった。
大学で学ぶとはどういうことかが、まるでわかっていなかったんだ。
私だけでなく多くの学生が「厳格4教授」に袋叩きに合い、
留年は普通のことで、さらに踏みつけられて、少しはましになっていった。
しかし「合わねえ」とやめていった学生もいたりして、
その「修正」は歳を取るほど大変になる。
病気も予防が一番のように、学びも早くから方向性を示し、予防させた方がいい。
その一番手が国語であり、論証力だ。
京大や阪大の問題を見ると、文系の問題でもかなりの論証を要求されている。
18歳の私にはそれすらわからなかったが、今ではとてもよくわかる。
「それを説明してみろ、入学すればその力が必要だ」と言われているのだ。
そりゃあ18歳の私や今の高校生のほとんどが蹴落とされるのは当然だ。
うちの生徒には早くから論証を意識させるようにしている。
高3のコウスケは申し分なく論証できる。それだけで国立大には進学できる。
口下手なヒナだが、散々国語でいじめたのが効いたか、
少なくともそれを理解し、修正しようとしている。
大学進学前にそれがわかっていれば、今はまだうまくできなくても、
進学後に違和感なく鍛えてもらえるだろう。
高校生にはそういうことがわかったうえで進学させたい。

聞き下手

クラブも一生懸命にやっていて、そんなに勉強してるそぶりもないのに、
成績はいいという腹立たしいやつはいつの時代にもいる。
私の高校時代なんて不器用で鈍臭かったのでコツコツ勉強したものだが、
そういうできる奴にはついに勝てなかった。
違いは何だったんだろう、やっぱり頭の出来が違った?
いいや・・・一番の違いは集中力と時間の使い方の違いだ。
私は自己満足だけのだらだらした勉強で夜更かしをし、
学校の授業はろくに聞かなかったり、寝てたりすることもよくあった。
授業を聞いていないから家で余計に時間がかかっていたと思う。
腹立たしくできる奴は授業中の集中力が違う。
懸命に考えながらメモを取り、その場である程度理解してしまうから、
家ではそんなに時間を使わなくて済み、他のことをする余裕を作れたんだ。
当時の私のような奴もいつの時代にもいる。
こちらが「ここが大事だ!」と必死に説明しているときに限って
鉛筆の先や手の爪をほほ笑みながらじっと見つめている。
説明なんか聞いてはいないけど、黒板に何か書くと、
とりあえずノートに書き写しはする。けれど何を書いているのかは考えてもいない。
それじゃあ高校時代の私と同じだ。方向性が悪い。なんとしても直さないと。
恐ろしい雷を落としてやる。「アホンダラア~~~」
しかしそういうことのあった次の日には、決まって寝ざめは悪い。
辛い仕事だなあ~とは思う。

正解だった再提出

先週国語の再提出を言い渡した中1の二人だが、しっかりと提出してきた。
見てみると・・・ほう、全部しっかりと書いてある。何度も読み返したのだろう。
正解している?いいや、それは半分もないのだけど、それは問題じゃない。
中1の子に高校入試の国語の文章は、かなり大人の文章には違いないから。
けれどそれを読まなくてはならない年齢になってきている。
とりあえず読ませてみて、大人の考えに触れさせることが大切だ。
数学は段階を踏まさないといけないけど、国語は難しいものを読ませてもいい。
訳の分からない文章を読んで、「どういうことだろう?」と考えればしめたもんだ。
考える世界を広げるきっかけになる。
やりたがらない生徒は以前からいる。あまりにやってこないと
「もうお前はやらなくていい」と渡さなくなった生徒もいる。
けれどそういう子の多くは学力が伸びないし、仮に大学へ進学しても、
方向性を見失い、何をやっているのかわからなくなることが多い。
そりゃあそうだもの、ガキの好みのままにいて外部を受け入れないんだもの。
年を重ねるほどに相手にされなくなってくるわね。
逆に問題文が真っ黒になるほど辞書で調べて格闘した生徒は
基本的に国立大へ進み、自分や世界をしっかり見るようになる場合が多い。
そこまで行けば何をやっても食べていけるだろう、少し安心できる。
国語はボランティアでやってるから、やってこないとブチ切れたりして
渡さなくなったけど、生徒のその後を見るとブチ切れちゃあいけないね。
再提出させればいいんだ、何度でも。絶対に読ませないといけない。
見ろ!コウスケなんか数学の取り組みもよくなった。
ぼんやりと説明を聞き、ろくにノートも取れなかったのに、
目を見開いて説明を聞き、せかせかとノートを取っている。
教科の目的はそれだ!生徒のそういう態度を育てることだ。
学ぶ姿勢・・・それを私が躾と言い、今の世の中で忘れ去られようとしているものだ。
そういうものはなかなかうまくいかないし、失敗の連続だから、
一般の塾では絶対にやらない。「短期間で点数を」だけだ。
そりゃあ点数は取れないより取れるほうがいいに決まっているが、
中身も知ろうとしないで、形だけでそこそこ進学できるようにして、
学ぶ姿勢を知らないから大学生の学力低下の今があるんじゃないのかな?
まあ、簡単に点数の欲しい人はそういう塾へでも行ってもらって、
私は学び姿勢を創ることで点数も取らせるような、その姿勢を変えることはない。
プロフィール

河原

Author:河原
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